●5.やすのぶ
<「音楽」は字の如く、「音」を「楽しむ」わけです。聴いて楽しむのも然り、分析をして楽しむも然り、アプローチは十人十色であって良いと思います。>
全く同感です。演奏して楽しむというのが、僕にとっては一番ですがね。
ブルックナーについては、それ専門のBBSやトピで語ればよいと思います。
僕も、ドニゼッティやムソルグスキー(単なる一例)に興味があるわけではありませんので。でも、ついでですからホラぼやさんの質問には簡単にお答えしておきましょう。
<ハースやノーヴァクの仕事に対してはいろいろな評価が出てきて、(新しい資料が見つからなくなるかぎり)第3,第4の原典版ができる可能性があるということでは?>
印刷されるべき基本資料というのは、遺贈稿です。
その解釈の仕方の違いによって第3、第4の原典版が出る可能性はありますね。実際、「第九」はコールズ版という第4の原典版が出版されました。
<その事実の後、遺言の話や“演奏上の配意を加えた第二義的なもの”なんて話をお聞きすれば、ハースやノーヴァクの評価ではなく仕事の意味が良く分るかなと思った次第であります。>
そうですね。さすが、古くからのブルックナーファン!
それが、正しい見方であると思います。ブルックナーファンの中には、そこのところを自ら確かめずに、日ごろ目にするうわべだけの評論を総合して、自らの意見としている人たちが意外と多いものです。
<やすのぶさん流に定義しなおして下さい。>
しばらくお待ちください。
<「18○○年稿」とかいうのは、出来れば止めてもらいたいですね。>
1873年3月に書いたものと1873年6月に書いたものとが違っていれば
1873年3月稿
1873年6月稿
とでもするんでしょうかねえ。(笑い)
<“最終稿態”ってなんですか?>
いろんな考えがあるでしょうが、原則的には遺贈稿の現状を示す形としておくことが無難では?(例外多々あり)
<『それは「第一」や「第二」が出版されていたと同時に作られていた「第九」でさえ、「第一」や「第二」の自筆稿と同じ書き方をしていることからも窺えます。』
これについても、もう少し分かり易く説明をしていただけると嬉しいのですが・・・。>
ブルックナーのスコアは楽譜を読む人の立場に立って書かれたものです。
初版群は、それに演奏する側のための配慮を加えた版です。
たとえば
「第一」最初のフォルテッシモ部(Aのところ)、ブルックナーは全ての楽器にffを指定しています(ヴィーン稿)。初版は、トランペットとティンパニをfに減じています。
「第九」においてもこのようなところで、ブルックナーはやかましい楽器に対して強度を下げるような指定はしていません。
<クナがどの初版を使ったかなんてのは分かるんですか?(^_^ゞ>
ハースやノーヴァクのような資料をあたった校訂上の相違というのは、各初版系にはありません。すなわち違いと言っても性格が違うのです。
ノーヴァクはハースの原版を用いたのですが、各初版系スコアは独自に原版を作っているので、誤植の訂正や新たな誤植の紛れ込みなどによる相違がほとんどです。
ヴェース版にはイタリア語の対訳が付いていることも特徴です。レートリッヒはちょっと校訂的なことをやっていますが・・・・。
ですから、クナがどのスコアを使っていようと聴く者にとってはどうでも良いことです。
それよりもクナ自身が初版のスコアと違ったことをやっている場合の方が耳につきます。
ただ、初版のスコアを持っていないと(ノーヴァク版を見ながら推測したのでは)、それが初版の指定なのか、クナ独自の解釈なのか判断できません。
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