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フルトヴェングラーには似ていないパイタのブルックナー

●交響曲第8番ハ短調
カルロス・パイタ指揮フィルハーモニック・シンフォニー管弦楽団
(1982年5月、Kingsway Hall, London VDC-1372 Lodia)

 友人のH君がこれを聴かなくちゃダメだよと言って差し出したのがこのパイタの「第八」だった。解説を見たら宇野さんが「今までのどのCDよりもフルトヴェングラーに似ている。」なんて書いてあるので、喜んで借りてきた。と言うのは、前に聴いたフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による「第八」(1954)をけっこう気に入っていたから、あの演奏がステレオで聴けるのなら素晴らしいと思ったのだ。

 ワオ、物凄い推進力のある第1楽章。テンポ変化も激しいけど、どこがフルトヴェングラーに似ている?って感じ。全体の印象は全く違うと言ってもいいくらいだ。抽象的な表現だが“深味”が違いすぎ。金管の強奏は暴力的だし、肝心なところでの弦の鳴りが悪い。さらに、フレージングが短いので、呼吸が浅い感じで息苦しくなる。これは特に第1主題部のリズムの悪さにもつながっていると言える。

 第2楽章は、最速か!? かのレークナーより速そうだ。
相変わらずメリハリが効いて金管の強奏とティンパニの強打が物凄いが、第1楽章よりはずいぶん聴ける。ポリフォニックな部分での裏パートが生きているのも楽しいし、トリオの心の込め方は美しくもある。終結のアッチェレランドは気違いじみた感じになるはずだが、パイタは冷静にやっているのではないだろうか? フルトヴェングラーだって冷静な目は光っているのだろうが、そういうことを感じさせないアゴーギクが素晴らしいのだ。パイタの一見(一聴)情熱的なアゴーギクは、冷静さを感じさせるところが深味につながらないといえそうだ。

 アダージョはゆったりはじまる。リズムがぼやけているなんてのは最初から期待していないのでどうでも良いが、やはりせかせかと動かすテンポ変化が鬱陶しい。それでも、主題再現の部分の非常に細やかな表情にはホロッとしてしまう。しかし、第1楽章で気になった弦の鳴りの悪さが、この楽章では一層気になるのは当然か。第五部では、それが致命的だ。コーダはオケの実力不足が露呈してしまい残念。

 フィナーレはまた速めのテンポで突き進む。弦の弱さと金管のやかましさが揃ってしまえば多くは望めない。尤も、その金管には突き刺すような鋭い煩さがないのが不幸中の幸いだ。つまり「あっちでやって」くれればけっこう良い音色なのだ。
 “死の行進”で走り出すのは最低だし、展開部の3回第1主題と第3主題が同時に鳴る部分は、バランスなどない。コーダのティンパニの気違いじみた最強打をパイタの面目躍如というのなら、パイタも大したことないということになるだろう。終結はヨッフム的で、引き伸ばした後のミレドはア・テンポでさっさと終わる。それにしても金管のパワー漲る強奏が物凄いことは確かだ。それがブルックナーに必要かどうかは別として。

 全体が良い演奏なら、部分的な欠点を指摘してもその演奏の価値が下らないのと同じで、全体的にダメな演奏の良いところを探してみても焼け石に水的なものかな?
 僕には第2楽章が一番聴ける。最もイヤなのは第1楽章。アダージョとフィナーレは弦がしっかり鳴っていればなって感じだ。

 基本はハース版。随所に初版からの表情を採り入れているようだ。宇野さんは「面白いのは、パイタが《改訂版》の表情を随所に採り入れていることで、」なんて書いてあるが、フルトヴェングラーに私淑した人なら当然といえよう(^^!

2004年8月29日

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