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シューリヒトのブルックナー三様

●ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
カール・シューリヒト
指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団

 EMIとの正規盤と、楽譜上の違いを中心に比較しながら聴いてみた。

 一つはウィーンフィルとのライヴで、1963年12月7日楽友協会大ホールでのもの(Altus, ALT085)。モノラルだけど、まずまずの音質。
 もう一つは1961年シュトゥットガルトでのライブで、オケは北ドイツ放送交響楽団(LS 4035173)。NDR盤の音質は充分に生々しく悪くはないモノラルだが、右チャンネルが落ちたり左チャンネルが落ちたりする。

第1楽章
 まずは1963年ウィーンフィルとのライヴ盤。
 4小節目の低弦の音程が怪しくなったり13小節目のオーボエとクラリネットが落ちかかったりとライヴらしい傷がいっぱいだ。しかし、強い粘着質の弦と、重みがあり簡単には鳴らない風情の管楽器が、強い意志による拘束から解き放たれたようなエネルギーを持った解放感で響きわたる、シューリヒトらしい名演だ。
 弦楽器の念を押すようなテヌートはスタジオ録音のものより効いているし、最初から強めで奏される第2主題は相変わらずだが、第3主題はEMI盤とかなり違う。
 遅く物々しいテンポで始まるのは同じだが6小節目から既に速くなり始めるのだ。これは再現部でも同じだが、即興的な魅力はあるにしてもEMI盤の方が筋が通っている。尤も、途中でアッチェレランドがかかってしまいフォルティッシモの《》に到達するときは同じだが・・・。(ここのトランペットはフィナーレのファンファーレの原形か?)

 展開部前のホルンのモノローグをテヌートでやるのもスタジオ録音と同じだ。その後《》前後のヴァイオリンのトレモロが生きているのは相変わらず素晴らしい。
 あと、EMI盤と違うのは270小節からのトランペット、“sehr leise”のリズムが強いことくらいか。

 NDR盤もシューリヒトの基本的解釈は同じだがテンポが遅い。
 展開部前のホルンのモノローグは、ハース版どおりのフレージングで強めにしっかり吹かせている。第3主題で落とすテンポは一緒だが、再現の時ウィーン盤と違ってアッチェレランド無しで347からテンポを上げ、やや転がってしまう。全体的にトランペットの強奏が突出しているのが難点だ。

 ●第2楽章
 このスケルツォは引き締まった速いテンポだ。EMI盤より速いかな。にもかかわらず、弦を中心とした強い響きが、外に向かってエネルギーを放射するようで気持ちイイ。強い意志とか熱い情熱は心の中にしっかり封印されているのだ。
 トリオは一転してゆっくりだ。EMI盤より遅いんじゃなかろうか。そして、真の勁さあってこそのあの甘美な表情には、思いきり惹きつけられる。しかも、それらの表情は無駄なテンポ変化や“無駄な心の震え”を排しているためとても“純”に響く。

 基本的にはEMI盤と同じだが、ライヴならではの放出するエネルギーは流石にこちらの方が凄い。

 NDR盤はここでもラッパの強奏が凄い。テンポはシューリヒトにしてはやや遅めくらい。

 ●第3楽章
 EMI盤は書道の達人がサラリと書いた文字のような、美しさを感じ取った画家がサラリと書いた水彩画のような、表面とは裏腹の味わい深い演奏だった。このライヴ盤も基本的には同じだが、やはりライヴならではの、今生まれたかのような即興性と勁いエネルギーを多く感じ取ることができる。
 アッチェレランドもあるが、感情の赴くままにとか激したとかいったものではない音楽的なものだ。素晴らしい、美しい、気持ちイイ(^^!!

 11小節からのバスはピツィカートか? 135小節からのトレモロはディミヌエンドしてしまう。ハース版使用なのに「谷間の百合(209〜218小節)をカット。
 EMI盤との違いが大きいところは主題再現の直前、2つ目の4分音符がやや弱くなるところと170小節からのチェロが濃い表情を付けるところだ。

 NDR盤は遅いテンポだ。演奏については特筆するところもないが、ハース版を使いながらの変更が面白い。
 まずはクラリネットのミスに驚く。副次部の65小節・4拍目の裏の8分音符。下降音型の音を「H→B」のように半音低く吹いてしまう。あー、ビックリ。
 135小節のヴィオラとチェロのトレモロはウィーン盤と同じでディミヌエンドしてしまう。しかし、「谷間の百合」はちゃんと演奏している。
 第5部の盛り上がりからゲネラルパウゼの前の部分
(235,236)の変更は凄い。なんと、あの強いトランペットオーボエパートを吹かせてしまうのだ。シューリヒト好きの僕でも良い趣味とは思えない。

 ところで、EMI盤では大クライマックス後《》の前の弦が不自然に大きくなって気持ち悪い。録音に作為的なものを感じる。因みにぼくのCDは「CDZ25 2925 2」というドイツ盤。

 ●第4楽章
 推進力というか躍動する生命感というか、とにかくブルックナーへの愛情と演奏にかける意気込みがひしひしと伝わってくる名演。EMI盤と最も違う楽章かな?
 EMI盤もそうだが、トランペットのファンファーレが鳴るところ(11小節や15小節)で、のばしの金管をfp風にして抑えるのが実に巧い。《》からはEMI盤も強めではあったが、完全にフォルテなのには驚かされる。しかし、特に下降旋律を強めるので、なんか種明かしされたような気になり今一だ。第3主題のリズムを先取りするティンパニのところからテンポを速めるのも同じだが、「死の行進」を速くやりたいのならこうやるべきだと思う。その後のアッチェレランドもぎりぎり許せる(^^ゞ

 それにしても、119小節からのヴァイオリンなど、アンサンブルがずれるほどのアクセントだし、力の入り具合の差なのかアゴーギクが微妙に違っていて印象もずいぶん違う。このライヴ盤は全くきれい事で終わらせることが無いのだ。当然、EMI盤の方が音楽的な出来は良いが、このライヴ盤の魅力は捨てがたい。
 392小節、396小節の第2ヴァイオリンが聞えるなんてのも気持ちイイし、とにかく弦全体が金管に負けない強さを持っていることが最高に魅力的な演奏になった原因の第一と言えるんじゃなかろうか。

 楽譜的にはかなり違いがある。ライヴ盤ハース版を使い《》から《》をカットしてあるだけだ。尤も終結間近、《Zz》の1小節前で、ティンパニが1回多くリズムを叩くのは御愛嬌だ。
 EMI盤は前半がハース版で《Oo》の前からノーヴァク版だ。しかもカットもある。《》から《》をカットするのは同じだが、《》の1小節前のホルンは吹かせない(吹いていると《P》からが困っちゃう(^^ゞ)。さらに253〜256小節カットしてある。

 NDR盤は相変わらずラッパの突出が激しい。演奏はウィーン盤ほどではないがシューリヒトらしい音楽的センスの良さに溢れている。問題はハース版そのままが聴けるとの期待を裏切る変更にある。

 まずワグナーテューバによる56小節の2拍目の4分音符、locoの部分をなんとオクターヴで吹かせている! locoを見落として低い音で演奏しているものはいくつか聴いたことがあるが、オクターブで強調というのは初めて聴いた。で、勿論無くもがなだ。

 第3主題のテンポが速いのはいつものシューリヒトだが、「死の行進」にアッチェレランドが無いのが良い。その後の《》から《》をカットせず、しっかりハース版通り演奏しているためだろうか。

 最も驚くべきはコーダカットだ。708小節の2拍目から716小節までカットしてあるのだ。それまでほぼハース版通りに演奏しているのに、いったいこれはどうしたことか。なんの意味があるのか理解できない。編集されてしまっただけなのだろうか・・・?

2005年03月17日

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