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デルマンのイタオペ的「第九」

●ブルックナー「第九」
Vladimir Delman指揮
Orchestra Sinfonica dell'Emilia Romagna“Arturo Toscanini”
<aura AUR 425-2>
(第1楽章:27’21”、第2楽章:11’20”、第3楽章:20’58”)

 ブルックナー通の壁男さん曰く「変態的演奏」ということですが、ちゃんと聴いてみました。

 変態的演奏という表現はとってもよく理解できましたが、決して悪い演奏ではありません。指揮者もオケもまじめに楽しく、しっかりと手抜きせずに演奏しているといえます。ただ、全然ブルックナーでないところに問題が・・・。

 最初から最後まで、一々書いたらきりがないほどいろいろやってるので、詳しいことは聴いた人しかわからないという演奏ですが、大きな特徴と、なぜ変態的なのかが分かったので書いてみます。
 まず、響きは悪くないです。凝縮され過ぎたような圧迫感は全然ありません。そして、残響でごまかすことのない録音なのも良いですね。
 尤も、オケ自体の実力は大したことありません。ライヴだし、ミスもチョロチョロあります。金管など妙に巧すぎることなく、強い良い音で鳴ります。ただし、大きすぎなことは否めません。あの強さで音量だけ減ればなあ。
 弦は、プルトが少ないのではという感じの響きですが、決して聞こえないわけでないのは録音の加減でしょうか。

 以上のような音で、細かい表情付けをした演奏が繰り広げられるのですが、決して神経質な演奏にはなっていないところにポイントが一つあります。
 一応原典版による演奏ですが、細かい指示を忠実にうまく生かして「オオッ」と思わせるところがある反面、“メロディ”を求めての内声の強調が気持ち悪かったりもします。
 その他、第1楽章、第2主題部に入る前のヴァイオリンのピツィカートや、再現部のクラリネット・ファゴットなどの「p」を全く聞こえないくらいに落とすのはどうしてでしょうね?
 つまり、バランスに関してはプラスとマイナスがあるということです。

 アゴーギク、つまりテンポ変化は凄いです。バランスもですが、このテンポが変態的と表現される大部分を占めるのではないでしょうか。
 特に第1楽章の第2主題部から第3主題部は、遅いテンポを基本にルバートが頻繁に現れます。そして、普通と違うこのルバートの仕方にデルマンの個性があるのです。
 何も書いてないところで速めたり、書いてあることと逆の動きをしたりするのが全然ブルックナー的でないわけですね。でも、それをブルックナーじゃないと思って聴くと、感情というか心の細かな動きを表現した名演技と言えなくもない。
 こういった動きは第3楽章にも見られ、聴いていてふと思いだしました。イタオペの歌伴の指揮をしたときのことを(勿論練習指揮ですが)
 そうなんです。デルマンのアゴーギクは、常識的なフレーズごとのテンポの動きとは違ったイタオペ的なものだったのです。音楽的計算に基づく繊細なテンポ変化ではないのです。神経質にならないのは当然でした。
 つまらない(と思われる)部分は端折り、ここぞという部分は思いきり強調する、良くも悪くも造形を無視した動きです。響き自体は悪くないのに、単純に音を延ばしているだけの部分に何となく欲求不満を感じるのはそのためだったのです。例えば第1楽章、第1主題が「fff」で響き渡る部分(63小節〜)など、3連符や4分音符で動く部分はともかくとして、長く伸ばす音に充実感がなく音のしまい方も不揃いで、如何にもさっさと通り過ぎたいみたいなのです。

 これは実にイタリア・オペラ的演奏だといえるでしょう。壁男さんの「変態的演奏」という表現もよく理解できることでしょう。
 あと、デルマンのうなり声も気持ち悪いくらいうるさいです。これは真剣に演奏している証しと言えなくもありません。
 何にしても、イタオペ的ブルックナーは初めて聴きました。面白いことは間違いないです。

2003年6月


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