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JOHANNES BRAHMS
(1833-1897)

交響曲 第3番 長調 作品90

 僕はブラームスがあまり好きではないがこの交響曲第3番は大好きだ。外へ向かっていく積極性と前進性、そして響きが暗くなったときでもにごる感じが無いのが良い。

 ブラームスの交響曲はすべて第1楽章から第4楽章まで有機的*に結びついて無駄が無いのだが、特にこの番は研ぎ澄まされて結晶化していると感じる。
 冒頭動機の象徴的な使い方や、随所に見られるリズムのぼかしかたがこの曲の奥行きを広くしている。
 また、例えば第1楽章はヘ長調といいながらも短調に傾いている感じがし、第2主題は属調になっていないとか、第1楽章から順にヘ長調・ハ長調・ハ短調・へ短調とシンメトリックになっているなど和声的な秘密もきっと多いことだろう。(僕には難しくてよく分からないが・・・)

 すべての作曲家の交響曲から10曲だけ選べと言われたら間違いなく選ぶことだろう(^○^)

*有機的・ゆうきてき・・・「精神性・せいしんせい」とともに、この意味がわからないという人がけっこういる。「有機的」な中の一つに「精神性」がある。つまり有機的の方が意味が広い。反対語は無機的だよってこと。そりゃああたりまえか。打てば響くってことなんだけどね。説明希望の人はメールを下されば、分かり易くお話しますよ(^^ゞ

・曲目について(分析と個人的聴き方)

◆ ブラームス 交響曲第3番 徹底試聴! ◆

試聴記1(0126赤数字 ●試聴記2(2748緑数字
試聴記3
(49〜75)黒数字 ●試聴記476100青数字

2007年5月26日、試聴数、ついに100種類達成!

試聴記は曲目についてを読んでからお読み下さい(^^ゞ

アイウエオ順 数字は試聴した順番を表わす

39-◎ 朝比奈 隆指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団<1990>
31-○ アーノンクール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1997.4>
59-○ アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.9)
58-○ アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1996.9.23)
19-○ アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送管弦楽団
52-○ アルブレヒト指揮 ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
64-○ アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団<1963>
94-○ アンチェル指揮 トロント交響楽団<1970.10.27>

88-○ イッセルシュテット指揮 バイエルン放送交響楽団
41-○ ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団<1983>
42-◎ ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団<1995>
99-◎ エッシェンバッハ指揮 ヒューストン交響楽団<1992>
48-○ 小沢 征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ<1991>

49-◎ カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団
67-○ カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1960.10>
89-○ カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1964.9>
90-○ カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1977-78>
66-▽ カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1988.10>

28-○ クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1957>
04-◎ クナッパーツブッシュ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1943>
60-☆ クナッパーツブッシュ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1950>
05-☆ クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1955>
02-☆ クナッパーツブッシュ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ<1956>
03-◎ クナッパーツブッシュ指揮 南ドイツ(シュトゥットガルト)放送交響楽団<1963>
96-○ クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1957>

46-○ ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1973.2>
71-◎ ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1960.1>
63-◎ ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 <1974>
38-○ 小林 研一郎指揮 ハンガリー国立交響楽団<1992.10>

73-○ サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団<1961.3>
68-◎ サヴァリッシュ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団<1991.12>
23-▽ サヴァリッシュ指揮 NHK交響楽団<1994.11.4>
43-○ ザンデルリンク指揮 シュターツカペレ・ドレスデン<1971>
44-◎ ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団<1990>
45-◎☆ザンデルリンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1992.6.16>

08-▽ シェルヘン指揮 スイス・イタリア放送管弦楽団
81-▽ シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団<2003>
51-◎ シュタイン指揮 バンベルク交響楽団<1990.4.29>
22-○ シュナイト指揮 ベルリン放送交響楽団<1994>
06-○ シューリヒト指揮 南西ドイツ(バーデンバーデン)放送交響楽団 
07-▽ シューリヒト指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー交響楽団
72-◎ ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1962>
79-○ ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1990>
27-● ショルツ指揮 南ドイツフィルハーモニー
98-◎ ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1978.5>

25-◎☆スウィトナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン<1985.8>
26-○ スウィトナー指揮 NHK交響楽団<1989.11.16>
92-○ ズヴェーデン指揮 オランダ・フィルハーモニー管弦楽団<2002>
61-◎☆スクロヴァチェフスキー指揮 ハレ管弦楽団<1987.11.>
53-◎ ストコフスキー指揮 ヒューストン交響楽団
77-▽ スベトラノフ指揮 ソビエト国立交響楽団<1982>
85-◎ スワロフスキー指揮 南ドイツフィルハーモニー<不祥>
69-○ セル指揮 クリーヴランド管弦楽団<1964.10>
95-◎ セル指揮 クリーヴランド管弦楽団<1965.5.19>

97-○ ダヴァロス指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1990>
09-◎ チェリビダッケ指揮 ミラノ放送交響楽団<1959.3.20>
10-☆ チェリビダッケ指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団<1976.11.19>
65-◎ チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団<1979.6.20>
21-◎ トスカニーニ指揮  NBC交響楽団<1952.11>
47-○ ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団
62-○ ドラティ指揮 ロンドン交響楽団<1963>
32-◎☆ノリントン指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団<1993>
33-◎ ノリントン指揮 ロンドン・クラシカルプレイヤーズ<1995>
86-◎ ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団<2005.4.15>

35-◎ ハーディング指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン<2001.6>
54-▽ バーンスタイン指揮 ニューヨークフィルハーモニック<1964.4.17>
55-◎ バーンスタイン指揮 バイエルン放送交響楽団<1978.11.24>
56-◎☆バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1981.2>
74-▽ ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1970.5>
84-○ ハイティンク指揮 ロンドン交響楽団 <2004>
76-○ バティス指揮 メキシコ国立交響楽団<1997>
79-◎ バルビローリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 <1967.12>

82-◎ フィードラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
11-◎☆フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1949>
12-◎ フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1954.4.27>
13-◎ フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<1954.5.14>
91-▽ プレートル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<2006.1.15>
29-○ ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1953.6>
70-▽ ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1975.6>
34-☆ ベルグルンド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団<2000.5>
20-▽ ヘルビッヒ指揮 ベルリン交響楽団
40-◎☆ボールト指揮 ロンドン交響楽団

57-◎ マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団<1993.3.22>
24-◎ マタチッチ指揮 NHK交響楽団<1973.12.5>
87-◎☆マンデール指揮 “ジョルジュ・エネスコ”ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団<1995.10>
30-● ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団<1989.4>
17-▽ ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団<1965>
18-◎ ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団<1972.1.27>
50-▽ メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団<1992.10>
37-○ メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1932.5.10>
36-○ モントゥー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1960.11.30>
93-▽ モントゥー指揮 BBCノーザン交響楽団<1962.11.21>

75-○ ヤノフスキー指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
80-◎ ライナー指揮 シカゴ交響楽団<1957.12.14>
100-○ レーグナー指揮 ベルリン放送交響楽団 <1978.1.29>
01
-○ ロッホラン指揮 ハレ管弦楽団<1975.6>
14-◎ ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1936>
15-◎ ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団<1953>
16-◎ ワルター指揮 コロンビア交響楽団<1960>
83-◎ ワルベルク指揮 NHK交響楽団<2002.1.5>

☆◎○▽●---5段階評価。「◎☆」は◎と☆の中間(^^ゞ


●第3交響曲ニーベルングの指環

 だれに強要するわけでもない。これは一つの聴きかただ。それにしてもブラームスワーグナー、純音楽の交響曲と長大な物語だから無理があるかもしれない。しかし、ぼくはこの交響曲第3番を聴くと「指環」を思い浮かべ、自由にイメージを膨らませメルヘンの世界を愉しめるのだ。
 「指環」では、神々と地下の矮人族との争いの物語だが、この曲では神と悪魔として聴く。最後など“エクソシスト”を思い浮かべることもあるが、決して善と悪の争いという構図を思い描く必要はないだろう。


 さあ、第1楽章から聴いていこう。これは英雄の登場だ。「指環」でいうところのジークフリートであろうか。力強く、激しい性格の中に優しさをも秘めている英雄は、神によって地上に送り込まれた人間で、悪魔と戦うための旅に出かける。ただし英雄自身は、その目的を知らされていないのである。

 冒頭、まずは力強く上昇する管楽器の和音に導かれ、ヴァイオリンに第1主題が登場する。このテーマは、英雄に相応しく実にダイナミックで自在だ。冒頭動機をバスに潜ませて広い音域をリズミックに駆け巡り躍動するもので、如何にも細胞内にパワフルなミトコンドリアが充満しているようである。さらに、2拍子系にも3拍子系にも感じ取ることのできる不思議な拍節感が自由な飛翔を連想させる。この“英雄のテーマ”は全曲の最後にも、そっと登場するので記憶しておかねばならない。
 第2主題はさしずめ“英雄の鼻歌”か。行進調の単純な伴奏に乗り“無リズム”で全く気ままに歌われる。一瞬の空白から鼻歌の反行形がヴァイオリンで奏されると、冒頭動機が軽く示されコデッタに入る。動き出すリズムが激しい感情の片鱗を現しはじめ、提示部が繰り返される。

 昂ぶる感情を抑えぬままに複雑なアクセントで突入する展開部は、アジタートで第2主題が叫ばれる。シンコペーションの伴奏で奏されるこの歌はもはや鼻歌などではなく、まさに英雄の激しい気性を表している。
 やっと静まると冒頭動機が旋律化してホルンにより朗々と鳴り響き、第1主題が断片化してゆったりと現れる。同じ6/4拍子の中で、2拍子系から3拍子系のリズムに変わると大きなクレッシェンドにより再現部となる。

 再現部のコデッタからは、激しい感情のままさらに激しい第1主題によりコーダに突入する。ここでは正にただ事ではないような究極の理性的“激情”が表現される(187-194)。この楽章の一番の聴きどころと言えよう。194小節でピタリと止まったあとひとしきり飛び跳ねるが、最後はちょうど眠りにつくように静かに終わる。

 第2楽章で英雄は憩いを求めて森を彷徨うが、強い陽射しに立ち止まる。
 最初の主題のリズミックに上昇する部分(3小節〜)は冒頭動機の模倣だ。
 静かに訴えるようなクラリネットとファゴットで始まる中間部の主題は、第4楽章の“神の存在のテーマ”につながるのもミソだが弦の伴奏もミソだ。その後の和音を一つ一つ置いていく部分は伴奏音型そのものであり“木漏れ日部分”と呼びたい。強い陽射しに汗を拭い立ち止まり、ふと見上げると木漏れ日さえも心の奥まで鋭く差し込み、居場所のないことを暗示するかのよう。
 コーダ(108小節〜)の少しずつ、しかし幅広くクレッシェンドしていくところは、叶わぬ願いを込めた祈りのようでもう一度“木漏れ日部分”につながってしまう。『叶わぬ願いを込めた』などというとまるで演歌のようだが、表面上で泣き言を言わないところが違う。
 この楽章、ブラームスには珍しくブルックナーの緩徐楽章にも通ずるものがあると感じるのは、ぼくだけだろうか。

 第3楽章はため息だ。不思議なリズム構造を持ったメロディが、発揮できずに持て余す力と無情感を表現し、さらに自身の理不尽な存在に言い様のない不安感が満ちて、センチな哀愁に染まる。
 この“ため息のテーマ”は、ヴァイオリンとチェロにより3オクターヴにわたって最後に登場するとき、まるで涙でびしょ濡れのようになる。

 遠くの方から不気味な呪文が聞えてくると、第4楽章が始まる。
 第1主題部は“呪文のテーマ”と“神の存在のテーマ”からなる。
 呪文により悪魔の存在が示されると、トロンボーンに導かれるコラール風主題で神の存在が示され、火花を散らすほどの戦い(30〜)となる。神におどらされ、姿なき悪魔に挑む英雄はドン・キホーテのようなものかもしれない。その意気揚々とした歩み(第2主題)も宿命に寸断される。その宿命を振り切ろうと突き進むのか、背負ったまま進むのか、とにかく力任せに挑む(小結尾部・75〜、217〜)のである。その虚しさが哀しい。

 この曲の最高のクライマックスは展開部の後半(149〜)にやって来る。ここでは感情をあらわにした神が猛威を振るい、英雄の目の前に姿を現した部分とも言え、そのクライマックスのまま再現部(172〜)につながる。
 終結で、冒頭動機を再現しながら木霊のように漂う呪文の断片は輪廻を象徴し、神の勝利が決定的でないことを意味している。“神の存在のテーマ”に呪文の断片が混ざり込むが、もともと共に第1主題であり神も悪魔も表裏一体であることが理解される。無意味な争いに巻き込まれた英雄も切れ切れに千切られて融合し、物語は蕭条たる黄昏の訪れとともに、とりあえず、終わるのである。

 この楽章は門馬直美氏ほか多くの評論家に展開部の無いソナタ形式と解説されているが、29小節までを序奏的部分として聴き、30小節からを本当の主部とすると、“呪文のテーマ”が戻る108小節から展開部172小節から再現部としてとらえることが出来るのではないだろうか。
 そういえば、第2交響曲の第4楽章にも第1主題部の中に同じような劇的変化がある。尤も、こちらの再現部は分かりやすく最初から再現してくれるが・・・。

(1997年6月初稿 2003年1月改訂)

第4楽章のソナタ形式について
 ウォルター・フリッシュ
著 天崎浩二訳「ブラームスの4つの交響曲(音楽之友社¥2,600)という、ブラームスの交響曲を詳しく分析した本を図書館で発見。それによると僕の分析もあながち間違いではなさそうだヽ(^o^)ノ
 尤も、その後やすのぶさんから聞いた、シューベルト弦楽五重奏曲第4楽章がモデルでは、という話はとても説得力がある。

(2003年2月)

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