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エリック・サティへのオマージュ

夏はサティだ。蒸し暑くなるとサティが恋しくなる。
書斎の机に向かえば既にそのまま一時間もだ。
雨跡に土埃のついたサッシの窓に映るピクリとも動かない雑草の、如何にも暑そうな佇まいの緑を眺めている自分に疲れを感じ、尻が畳の上に大きく花開いてしまったのではないだろうかと、心配が過る。
而して、それでも尚身体を動かせないほどの、堕落と怠けによる退廃の空気をどっぷり吸入してしまうと、吹き出していた身体中の汗が乾き、頭の中(たぶん大脳前頭葉)がサウナ風呂のように湿ってしまう。
強引に首の骨を鳴らしてみる。サティが聞こえてくる。
蟻が、何も持たずに一匹だけ、急いで視界を横切って行った。
殆ど意味のない何故か暑苦しいサティは、この蒸し暑い夏の時間を切り取ったものなのか?
涅槃も無ければ煩悩も無い。

パリはサティだ。サティが響くとパリが恋しくなる。
雨の中、長いフランスパンを抱え、傘も持たずに歩く男。
信号は赤でも、私はここを渡るんだという素振りを顕示する、たるんだ中年女性。
ノースリーヴとオーバーコートがいっしょに歩くセーヌ河畔。
綺麗なショウウィンドウと物乞いするみすぼらしい詐欺師の母子。
白黒黄の人間が、極めて明るくシャンゼリゼ通りをウジャウジャ歩けば、娼婦が流し目を送りつつ気怠そうに壁に寄りかかっている薄暗い裏通りにつながる。
団体のおのぼりさんが、雰囲気たくさんのノートルダムに集まっている。
リヨン駅近くの、汚れたトイレのある中華料理屋の美味しい春巻き。
オペラ通りの、酸っぱい生クリームの埃っぽいカフェー。
緊張感漲るスリ電車、メトロ。
勝手に猥談を喋りまくるゴミタクシーの元気な運転手。
コンサートホールで物売りが歩き回っているシャトレー座。
ルーブル秘密の三階、独り占めのミレー。
常に新しい空気の流れるパリ。

サティはパリの全てを持っている。
そして蒸し暑い日本の夏はサティがいい。
サティを切り取ったのが日本の夏なのか・・・?
アポロン的でも無ければ、ディオニュソス的でもない。

湿気いっぱいの退廃空気は、暑苦しいサティを鋭いタッチと冷やかな感性でみせてくれる高橋アキのレコードに仕舞い込んで仕事に掛かろう。
アキのレコードがカビなければ良いが・・・。

雑誌「音楽現代」1984年9月号より


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