フルトヴェングラー指揮 2005年1月14日、追加16日、18日、演奏について24日、CDと比較して28日 僕の最も好きな「田園」だ。決していい演奏ではないと思う。でも、あの第1楽章の静謐感漂う美しさには抗しがたいものがある。第1主題があの見事に脱力したオーボエで浮遊すると、その優しさに涙が出てくる。 ワルター/コロンビアso.のマーラーの「9番」で感じる 「小春日和の縁側で昔話を聞くような気持ち良さ」に繋がる感覚ではある。「田園」とはいえベートーヴェンであるだけにこの演奏の異様さは際立つ。全く、脱力して体温の下がった、帰依するような「田園」。同種の演奏としてはブルックナーにある。マタチッチ/スロヴェニアの「第七」だ。 で、今までほとんど第1楽章しかちゃんと聞いていなかったのだが、久々に全部聴いていろいろと発見した。 そして、今回最も驚いたのは第3楽章だ。 さらによ〜く聴いてみると、冒頭部分は2種類の演奏になっているようだ。ぼやけるように始まる1回目に比べて繰り返したときはクッキリ弾かれているし、背後の雑音が違うことが聞き取れる。 つまり、このディスクは繰り返してからの編集はないが、第3楽章の冒頭からリピート記号のところ(ブライトコプフ版で)までをつぎ足してあるのだろう。繰り返しを抜けるときは自然なのに、繰り返すときは不自然な空白が有ることから、そう想像できる。しかも、冒頭8小節くらいは本当の演奏であろうに、その後からを繰り返した演奏につなげて編集し、この楽章の五部形式を完成させていると思われる。 因みにこのLPのジャケット解説は酷い誤植まで揃っている)*o*( 第1楽章以外の演奏については、またそのうち記そう。そう思って第5楽章まで聴いた時ホルンのソロを聴いて何かヘンだと気が付いた。よく確認してみたら、何と半音近くピッチが高いじゃないの! 第5楽章が最も高いけど、第1楽章だって充分高いピッチだ。耳が腐っていたか、今まで気が付かなかった(^_^;) で、演奏についてだが、第2楽章以下は第1楽章での雰囲気も漂ってはいるが、やや恣意的なところが違う。 その第1楽章はいつものように物凄いリタルダントで終わるわけだが、意思の力が感じられない分押しつけがましさが皆無で最も自然といえる。その気分を記憶に残しておもむろに始まる第2楽章のテンポは、遅い。しかし、それほど遅さを感じさせるわけではない。それはかなりテンポ変化があるからだ。 第2主題に向かって速くなるテンポは、第1ヴァイオリンの16分音符のスラーがとれても(30小節以降)展開部(54小節)に入っても、まだまだ速くなっていく。 問題の第3楽章だが、演奏は素晴らしい。 第4楽章の迫力は、底力のある本物だ。ただその迫力が、前述した通り録音操作のためにレヴェルが変わってしまい興醒めではある。《C》(21小節)からのフォルティッシモや《F》の後(106小節)からのフォルティッシモなど「あ、レヴェルメーターが振り切れる!」と、慌ててレヴェルを下げているような感じだ。 第5楽章の特徴は三つある。 二つ目はリズミックになる第2主題部分(42小節・・・ソナタ形式と考えた場合)の弦の奏法にある。8分音符にしても16分音符にしてもややアクセントをつけて音が減衰する魅力を前面に使い、決して飛ばす(スピッカート)ことが無いのだ。コンマスが誰かは知らないが、ジークフリート・ボーリスの音色を思い出す。 サラリと柔らかで、優しく美しい。 三つ目は最後から2番目のフォルティッシモ部分にある。225小節から227小節に向かってクレッシェンドしたトランペットがクライマックスを形成するところだ。 押しつけがましさが最も少ない田園。静かな感動が沸き上がる田園。何回聴いても飽きない心の栄養のような田園。それがこの「ルガーノの田園」だ。 この録音はCD化されていてそれを聴く機会を得た。「ERMITAGE ERM 120」というオーストリア盤でK466も入っている。そしてその音は、なんとLPとは全く違う。 確かに同じ音源ではあるが、低音域をかなりカットして鮮明にして少し残響を足してある感じ。これがオリジナルの音なのだろうか? 低音域が足りないためまるでコントラバスがないみたいだし、ヴァイオリンや管楽器の音も下の倍音(そんなのあるのかな?)をカットされて響きにコクが乏しい。LPに慣れてしまったからそう感じるのかもしれないが、上述の演奏に対する評価はあくまでもLPを聴いてということになる。 なお、ピッチはおかしくないし、終結はうまくごまかしてある感じ。 2005年1月14日、追加16日、18日、演奏について24日、CDと比較して28日 |