戻る Top

編集してある「ルガーノの田園

フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
<LP:K17C-9414、1954年5月15日 ルガーノ>

2005年1月14日、追加16日、18日、演奏について24日、CDと比較して28日

 僕の最も好きな「田園」だ。決していい演奏ではないと思う。でも、あの第1楽章の静謐感漂う美しさには抗しがたいものがある。第1主題があの見事に脱力したオーボエで浮遊すると、その優しさに涙が出てくる。
 ベーレンライター版では61小節も63小節も同じ4分音符になっている第1ヴァイオリンだが、ブライトコプフ版の61小節は8分音符なのだ。この違いを何の押しつけがましさもなく、自然に美しく必然性をもって見事に表現しているところにも、静かなる愛を感じる。

 ワルター/コロンビアso.のマーラーの「9番」で感じる 「小春日和の縁側で昔話を聞くような気持ち良さ」に繋がる感覚ではある。「田園」とはいえベートーヴェンであるだけにこの演奏の異様さは際立つ。全く、脱力して体温の下がった、帰依するような「田園」。同種の演奏としてはブルックナーにある。マタチッチ/スロヴェニアの「第七」だ。

 で、今までほとんど第1楽章しかちゃんと聞いていなかったのだが、久々に全部聴いていろいろと発見した。
 まずは録音がヘンだということ。ヘンというのは、いろいろと編集してあるみたいだということだ。
 第1楽章は冒頭から数小節間やたらと音量が小さい。そして第5楽章終結は如何にも音を途中で切ってしまったように唐突に終わり、とってつけたような拍手が続く。
 第4楽章を筆頭として強音の部分はリミッターがかかった様な音量の減少がある。

 そして、今回最も驚いたのは第3楽章だ。
 何と、このLPでは、繰り返し部分は同じ演奏を編集してつないでいるだけなのだ。実際に繰り返しているわけではないということ!
 どこで気が付いたかというと、まずはホルンミス。このホルンは135小節2拍目をはずし、146小節目1拍目もひっくり返る。何とこれが全く同じように2回目もミスるじゃないの! ホルン吹きとしてはこんなことはあり得ません。
 それでよく聴き直してみると、97小節113小節からリズムが転がるオーボエ115小節から弦とのアンサンブルがずれちゃうわけだが、見事に同じリズムだ。
 そして、とどめは124〜125小節あたりに入るの音。2回とも同じところで入っている。

 さらによ〜く聴いてみると、冒頭部分は2種類の演奏になっているようだ。ぼやけるように始まる1回目に比べて繰り返したときはクッキリ弾かれているし、背後の雑音が違うことが聞き取れる。
 しかし、24小節からは明らかに同じ演奏だから、8小節以降24小節までの間でつなげてあるということかな。

 つまり、このディスクは繰り返してからの編集はないが、第3楽章の冒頭からリピート記号のところ(ブライトコプフ版で)までをつぎ足してあるのだろう。繰り返しを抜けるときは自然なのに、繰り返すときは不自然な空白が有ることから、そう想像できる。しかも、冒頭8小節くらいは本当の演奏であろうに、その後からを繰り返した演奏につなげて編集し、この楽章の五部形式を完成させていると思われる。

 因みにこのLPのジャケット解説は酷い誤植まで揃っている)*o*(

   *   *   *   *   *   *   *   

 第1楽章以外の演奏については、またそのうち記そう。そう思って第5楽章まで聴いた時ホルンのソロを聴いて何かヘンだと気が付いた。よく確認してみたら、何と半音近くピッチが高いじゃないの! 第5楽章が最も高いけど、第1楽章だって充分高いピッチだ。耳が腐っていたか、今まで気が付かなかった(^_^;)
 ピッチを調節して聴くと一層シミジミする第1楽章だ。CDのピッチはどうなんだろう?

   *   *   *   *   *   *   *   

 で、演奏についてだが、第2楽章以下は第1楽章での雰囲気も漂ってはいるが、やや恣意的なところが違う。
もともとフルトヴェングラーの「田園」がそういうスタイルなのだろうが、第1楽章のような諦観が漂うばかりの演奏ではない。

 その第1楽章はいつものように物凄いリタルダントで終わるわけだが、意思の力が感じられない分押しつけがましさが皆無で最も自然といえる。その気分を記憶に残しておもむろに始まる第2楽章のテンポは、遅い。しかし、それほど遅さを感じさせるわけではない。それはかなりテンポ変化があるからだ。

 第2主題に向かって速くなるテンポは、第1ヴァイオリンの16分音符のスラーがとれても(30小節以降)展開部(54小節)に入っても、まだまだ速くなっていく。
 ポルタメントがかかり気味
(例えば5小節の4拍目)の甘い第1ヴァイオリンが、優しく癒してくれる魅惑の花園的な音楽が続いて欲しいのに、このアッチェレランドには興を殺がれる。16分音符を弾いている第1ヴァイオリン奏者の「あれ!?」という慌てた表情も見て取れそうなくらいだ。このアッチェレランドが、せめてウィーンフィルとのEMI盤くらいなら許せるのになぁ。アゴーギク以外の表現に関しては好きなだけに残念!
 当然、再現部
(91小節)のテンポは提示部よりかなり速くなってしまう。こういうところをスケールの小さい落ち着かない演奏だと評価する人もいるだろうな(>_<)

 問題の第3楽章だが、演奏は素晴らしい。
クレッシェンド
(48小節)から男性が声を張り上げて歌うようなスフォルツァンド部分(59小節〜)に向けて加速したテンポは、オーボエソロの4小節前から見事に緩み、落ち着きを取り戻した美しい踊りのテンポとなる。やり過ぎの感もあるが僕の大好きな部分だ。オーボエのリズム音痴が勿体ないとはいえ、村人の集いでの田舎楽師の演奏と考えれば悪くないかも ← これ皮肉です(^^ゞ
 粗野な感じの中間部でも音色の破綻が起こるようなことはなく、決して激さない。しかし軟弱ではない。力のこもったヴァイオリンの16分音符が、音楽的に聞えるのが素晴らしい。

 第4楽章の迫力は、底力のある本物だ。ただその迫力が、前述した通り録音操作のためにレヴェルが変わってしまい興醒めではある。《C》(21小節)からのフォルティッシモや《F》の後(106小節)からのフォルティッシモなど「あ、レヴェルメーターが振り切れる!」と、慌ててレヴェルを下げているような感じだ。
 最後のsfの後《G》
(119小節)からのメノモッソの自然な感覚は美しく、慈しみを感じさせる。
 そして、この楽章も物凄いテンポ緩和の後、一音々々丁寧なフルートソロが第5楽章へつなぐ。
 なお、53、54小節のティンパニ追加はフルヴェンの常のようだ。

 第5楽章の特徴は三つある。
 一つはテンポ変化だ。まあ、フルトヴェングラーだから伸び縮みするのは当たり前といえばそれまでだが、あの静謐な第1楽章があり、落ち着きの欠けた第2楽章のアッチェレランドがあったので、今度はどうかということになるわけだ。
 結果は良好。流れが自然なのでオケも戸惑うことがない。冒頭のクラリネットとホルンのソロも8分音符の連続部分で速くすることが無いので、落ち着いて聴ける。

 二つ目はリズミックになる第2主題部分(42小節・・・ソナタ形式と考えた場合)の弦の奏法にある。8分音符にしても16分音符にしてもややアクセントをつけて音が減衰する魅力を前面に使い、決して飛ばす(スピッカート)ことが無いのだ。コンマスが誰かは知らないが、ジークフリート・ボーリスの音色を思い出す。 サラリと柔らかで、優しく美しい。

 三つ目は最後から2番目のフォルティッシモ部分にある。225小節から227小節に向かってクレッシェンドしたトランペットがクライマックスを形成するところだ。
 「祈りよ、天に届け!」とでも言わんばかりの効果。いつもそうやっているのかもしれないが、この演奏はまさに最後の祈りのような、他は全て脱力して祈りのみに執着するような凄みすら感じる。
 終結の音が切れているのが惜しいが、おそらく最もベートーヴェンらしく決然と終わったのではないかと思われる。

 押しつけがましさが最も少ない田園。静かな感動が沸き上がる田園。何回聴いても飽きない心の栄養のような田園。それがこの「ルガーノの田園」だ。

   *   *   *   *   *   *   *   

 この録音はCD化されていてそれを聴く機会を得た。「ERMITAGE ERM 120」というオーストリア盤でK466も入っている。そしてその音は、なんとLPとは全く違う。

 確かに同じ音源ではあるが、低音域をかなりカットして鮮明にして少し残響を足してある感じ。これがオリジナルの音なのだろうか?
 LPでは強音部で歪むこともあったが、歪んだり濁ったりすることは皆無だ。聴き易くキレイだが、あまりにも軽い。これでは演奏に対する印象も変わりそうだ。

 低音域が足りないためまるでコントラバスがないみたいだし、ヴァイオリンや管楽器の音も下の倍音(そんなのあるのかな?)をカットされて響きにコクが乏しい。LPに慣れてしまったからそう感じるのかもしれないが、上述の演奏に対する評価はあくまでもLPを聴いてということになる。
 あのLPが低音域を強調してあるだけなのかなぁ・・・?

 なお、ピッチはおかしくないし、終結はうまくごまかしてある感じ。

2005年1月14日、追加16日、18日、演奏について24日、CDと比較して28日

戻る Top


inserted by FC2 system