ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団
(9'02"/10'55"/8'25"/11'50" LP
GT2013〜14)
天才的名演!
そっけないくらいの基本テンポの中に、万感のニュアンスがこもっている。ソロも名人芸ばかりだ。
第1曲のシンドバッドのテーマのアゴーギクや、第2曲・第2部のテンポ設定とその自在感。さらに、第3曲は速いテンポなのになんという味の濃さだろう。続く第4曲も見事! シャーリアル王の高笑いもルバートが決まる。
聴けば聴くほど味が出てくる。とにかく、抉りの効いた即興風の超名演。この演奏ならたまに聴いてもイイナ!
これで録音が良ければ最高なのに…。
第3曲--74小節の小太鼓を78小節と同じように変更している。
シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団
(10'32"/11'32"/10'34"/12'27" 1983年録音)
細かい所まで神経の行き届いた名演。何せ、最弱音から最強音まで響きが美しく、その中で過不足無いニュアンス変化が音楽的に表現されているのが凄い。
第1曲で、ヴァイオリンのフラジオレットがあんなに綺麗に響いたり、第3曲のメロディのはにかむようなルバートも素敵。
惜しむらくは第1曲、第2曲の第2部、第4曲の祭りの部分が美しい響きとともに流れがよすぎて面白みがない。リズムがきっちりしすぎているせいか?
何か味付けしてってお願いしたくなる。最高に旨い米の炊き立てご飯をおかず無しで食べているみたい。贅沢なお願いか?
第2曲--254小節のシンバルが無く、255小節に鳴る。
レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団
(10'00"/11'39"/11'52"/12'03" 1964年フェイズ4録音)
よくぞここまでやってくれました。
スコアの大幅な改変だけでも枚挙に暇ないが、ちょっとした強弱の変更やルバートも数多く大成功の部分と失敗の部分がある。
第1曲は、ほぼ成功だ。冒頭、最強奏のトロンボーンが3小節目で何気なく音量を落とし、弦のトリルを聞かすなんて小技も効いている。その後のフェルマータを切る前に入ってくるソロ・ヴァイオリンのタイミングもピッタリ。そして、主部のテーマはいきなりフォルテだ! シンドバッドのテーマの途中ピアノに落してクレッシェンドするデュナーミクもイイ。2度目再現(206小節)前のアッチェレランドは最高じゃん!
第2曲のソロ・ファゴットは、理想的といえるほどの表現を聴かせる。その時、響いているコントラバスにまで表情があるのもイイ。第2部は弦を筆頭に迫力が凄く、ソロ・トロンボーンの出る(108小節)タイミングは息をのむほどだ。クラリネット・ソロ、ファゴット・ソロの伴奏ピチカートはアッチェレランドしてバラバラになるが悪くない。178小節の3/8は弱音器を付けたヴァイオリンが強奏され驚く。ルバートがほとんどツボに嵌まった名演。
第3曲は、先へ進むのをためらうようなルバートで、濃厚に歌いまくる。面白いけれど失敗だと思う。クラリネットとフルートの26連符・32連符は上下で音を伸ばす奏し方が田舎臭い。中間部95〜101小節のフルート、ヴァイオリンによる6連符の洒落た生かし方など洗練された解釈もあるのに・・・。まあ、面白ければOKか?
第4曲は最初からノリノリ! アクセントが付けられた低弦の伸ばし(29小節)に先導され、緊迫して登場するソロ・ヴァイオリンの部分は最高の名演出と言えよう。主部に入ってからもスコアに無いタムタムをいいところで鳴らしたり、ピアノのヴァイオリン(174小節〜、418小節〜)を強(狂)奏させたり、スタッカートのヴァイオリン(452小節-)を美しくレガートにするなど、正に目眩くばかりの演奏!! とどめは難破部分のあと、627小節に追加されたトランペットだ。王の心に刺さっていた残酷非道の剣を引き抜いたかのよう。
不満は高笑い部分のバスドラムが効いてないこと。それから、歪みっぽく濁るヒドイ録音が頂けないこと。バランスにも不自然なところがある。
第1曲--17小節のヴァイオリン・ソロが1オクターヴ高い。24小節は木管と同じようにpizz.。114、193小節のトロンボーンとチューバは低弦と同じに変更。144小節のトランペットは旋律に変更。199小節にシンバル追加。最後にヴァイオリンのフラジオレットのような音が?
第2曲--216、220、229小節のティンパニは聞こえない。254小節のシンバルが無く、255小節に鳴る。358小節からシロフォン追加! 425小節は音場が定まらない。442小節からのヴィオラとチェロはポンティチェロ。
第3曲--21、23、45、47小節のソロ・クラリネット、フルートにハープ追加。69小節の小太鼓は響線を外す。74小節は78小節と同じに変更。79小節からのタンブリンに前打音あり。126小節はフォルティッシモにならず。
第4曲--38小節からのフルートはソロで、3連符の動きだけ2本のように聞こえる。280、284小節にタムタム追加。300小節から小太鼓の響線を外す。617、618小節のヴァイオリンは1オクターヴ上か? 最後3小節にヴァイオリンがアルコで和音に加わっている?
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
(10'06"/11'09"/9'34"/12'26" 1960年録音)
第1曲は、曲の勘所をしっかり押さえたオーソドックスな名演。再現前の“間”も生きている。
第2曲はやや平凡。決してつまらない演奏というほどではないが・・・。
第3曲もアッサリして平凡。中間部の2小節前からテンポを速めて流れを良くしたりするものだから、いっそうアッサリだ。その中間部の小太鼓が不器用そうにしっかり32分音符を叩く。
第4曲はテンポが遅めで、しかも冷静過ぎの凡演。これではつまらない。
アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(10'43"/12'02"/10'57"/12'28" 1981年録音)
オケのメンバー一人々々がこの曲を理解していないみたい。つまり、とりあえず指揮者の指示に従っているだけで、自発性があまり感じられない。ガラスケースに入った宝石を眺めるだけで、手に取ることのできないもどかしさが残る。物語に入っていけない。
第2曲439、446小節のホルン・ソロの伴奏トレモロにアクセントを付けて味わい深くするなんてのがあるが、こういうのを全曲にちりばめたらいいのに・・・。
うまいオケが80%くらいの力で演奏している感じ。聞き流していると所々で鳴り響く抉りの効いた金管の強奏も美しくいい感じだが、じっくり聴くと思いきりの悪い駄演に聞こえてしまう僕は、ほとんど病気か?
第1曲--114、193小節のトロンボーンとチューバは低弦と同じに変更。
第2曲--254小節のシンバルが無く、255小節に鳴る。439、446小節のヴィオラとチェロにアクセント。
第3曲--159小節の2拍目(2つ振りで)からヴァイオリンを1オクターヴ上げる。
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(10'15"/11'019"/9'55"/12'06" 1958年録音
新星堂)
マタチッチは最初から最後まで実に誠実な解釈で悪くはないが、面白みに欠けるのは事実だ。アンサンブルもあやしい部分が多い。
それでも、第1曲のシンドバッドのテーマのところの木管とホルンなど、純音楽的に『うまい』と唸らせる。また、第2曲の416小節からの弦を楽譜通りに演奏するのを初めて聴いた。つまり32分音符、16分音符、トレモロの指示をその通りやっている。
第2曲--25小節のコントラバスの和音進行があやしい。254小節のシンバルが無く、255小節に鳴る。
第4曲--586小節、6/4になったところでトランペットがとんでもない音を鳴らす。
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 プラハ放送交響楽団
(10'08"/12'07"/11'52"/12'23" 1975年録音)
独特の小技を含めて、細かな表情付けが見事な名演。これで大技が2〜3あれば完璧。
思い切った内声の強調など、表面を磨くような上品なバランス感覚を捨てているところが良い。少しヴィヴラートのかかった、如何にもボヘミアのホルンは肌理の細かい柔和な音色が魅力的だ。
第1曲、72小節からのヴィオラのピチカートをたっぷり鳴らしたり、157小節からのヴァイオリンの和音まで表情豊かにするところなど芸が細かい。そして、202小節からのトロンボーンにクレッシェンドを付けて波の打ち寄せる感じを表出するのはよくやる手だが、自然でうまい。
第2曲の436小節からのソロ・ホルンの伴奏トレモロに付けられた表情もプレヴィンより味が濃い。
第3曲はゆったりたっぷり歌うメロディは普通だが、それを支える内声が実に音楽的。その後のクラリネット、そしてフルートによる26,32連符は見事に均等に演奏されるが、もっとクレッシェンド、ディミヌエンドがあればな・・・。
第4曲でも344,348小節の2nd.ヴァイオリンなど、生きるべきパートがしっかり生きた味わい深さだが、最後、低弦による王のテーマのリズムを伴奏の3連符と合わしてしまうのは頂けない。これではシャーリアル王の威厳が全く無くなってしまう。
第1曲--24小節は木管と同じようにpizz.。114、193小節のトロンボーンとチューバは低弦と同じに変更。
第2曲--163、164小節のピチカートのリズムを162小節と同じに変更。254小節のシンバルが無く、255小節に鳴る。436小節からのヴィオラとチェロにクレッシェンド、アクセント。
第3曲--中間部の1小節前からスネアが入るように聞こえる。160小節でハープをかき鳴らす。
第4曲--32、33小節のヴィオラは前のリズムと同じに変更。647、652小節のチェロ、コントラバスのリズムを伴奏に合わせるように変更。
オンドレイ・レナルド指揮 チェコ放送交響楽団
(9'29"/12'13"/10'34"/11'39" 1988年録音
NAXOS)
第1曲の202小節からのトロンボーンにクレッシェンドをつけたり、第2曲の449小節を遅いテンポのまま入りアッチェレランドしていくなど、考えた解釈もあるが、例えば後者の部分はそのアッチェレランドが足りないため中途半端だ。
まあ、真面目だが即興性に乏しい演奏といえば当たっているか。ソロ・ヴァイオリンには、例えばシェエラザードのテーマの動き出しの3連符の最初の音を長くするなどクセがある。
それほどうまく無いオケが持てる力を全て出し切って演奏している、といった好感の持てる演奏ではある。
第4曲--645小節からのソロ・ヴァイオリンの伸ばしは一人でやっているらしくボウイングの返しが分かってしまう。
セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(11'56"/15'38"/11'58"/14'09" ?年録音
METEOR MCD-002)
一フレーズ、否、一小節、否、一音たりとも、考えの及んでいない音はない。ここには秩序しかないのだ。人間が考え出した音楽理論に則った秩序。人工的創造物の最高傑作と言えるんじゃなかろうか?
自然というものはエントロピーが増大する方向に進む。それは無秩序に向かうということだ。自然の美しさは偶然の産物である。チェリビダッケの音楽は偶然を許さない。その意味で決して自然ではないのである。
ミクロの世界では必然はない。ミクロの世界の上に成立している我々マクロの世界は、人為が介入されないと偶然に支配されるのは必然か。
冒頭から、如何にもチェリビダッケらしい抑制された独特のバランスを保った響き。そう、どんなに大きな音だろうとどんなに弱い音だろうと、そこには必然性が感じられ、常に表現に余裕があるのだ。
少しだけ具体例をあげれば・・・。
第2曲の173小節の部分のテンポと響きは完璧。
第3曲の中間部では本当のピアニシシモ(ppp)が響く。
第4曲の142小節からは、なんとオーボエの和音までが意味深く音楽的!
第1曲--最後は4番ホルンも音を切る。
第2曲--163、164小節のピチカートのリズムを162小節と同じに変更。
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