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交響曲第1番

 生命の息吹と、愛の苦しみに燃え立つような情熱の嵐を感じさせるこの交響曲は、表面的にも内面的にも2番以降のマーラーの交響曲の方向をしっかりと示している。それは、神への告発ということ。その告発する内容に深みが出てくるのが後の作品なのだ。
 私的なものから普遍的なものへ、具体的なものから抽象的なものへ・・・。そして、告発を受ける神は、その告発を受け入れるかどうかは別として宗教神を超えねばならない。マーラーの時代の科学は、未だ神秘を手に入れてなかったのだから。

第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章

2001年12月


 

第1楽章

 情景描写のような序奏部には、フィナーレへの布石がいっぱい敷かれている。
 七オクターヴに及ぶ弦のフラジオレットは朝靄の森を思わせるが、リズムを含まないこの持続音は空間を強く感じさせるところが凄い。そして、そこに現れる4度下降の動機はフィナーレの最後にニ長調で高らかに強奏されるわけだが、それも自然描写の一つだろう。クラリネット、そしてトランペットによるファンファーレは、何か場違いな存在を匂わすが重要な動機だ。クラリネットによる4度音程のカッコウが鳴くと、ホルンがトランペットのファンファーレを伴って実に牧歌的に響く。
 その後、低弦のクロマティックな進行(仮称:自然胎動のテーマ)を経て主部に入るが、この低弦の動きもフィナーレで力強く活用される。

 クラリネットのカッコウに促されるように主要主題「朝の野辺を歩けば」が、チェロによりニ長調で歌われる。愉しげに、しかし実にデリケートに。
 この主題はすぐイ長調に転じ歌曲のメロディが次々に連なるが、第2主題らしきものは不明だ。トランペットがイ長調で2回、主要主題を奏した後に出てくるヴァイオリンとチェロによる部分を第2主題とする説もあるが、ここでは主要主題二部としておこう。
 2度目の主要主題二部の最後に現れる3連符を含む動機(仮称:恋のテーマ)は、とても愛おしい。

 繰り返しを抜け、序奏部の雰囲気に戻る部分からを展開部としよう。
主要主題の断片(Fl)とカッコウ(Cl)を背景に、チェロが喘ぐように切れ切れに歌う(仮称:呼びかけのテーマ)。これは、目覚めるように、しかし粛々として現れるニ長調のホルン(仮称:目覚めのテーマ)を呼び出すようでもある。そのホルンの後しっかり姿を現す呼びかけのテーマは、主要主題二部へつながり、ホルンとチェロによる新しいテーマ(仮称:愛撫のテーマ)も重ねられて本格的な展開が始まるのだ。

 ここから再現部までは、目まぐるしいほどの転調を伴って、それまでのテーマが繊細に連なり重なり合い、若きマーラーの心象風景を見るようでとても魅力的だ。
 ホルンとチェロによって優しく奏される愛撫のテーマがクレッシェンドしてスビト・ピアノになるときのDesへの転調(243小節)は、マーラー得意の魔法をかけたような美しさだ(仮称:魔法部分)
 そして、269小節からは、何かを見つけて立ち止まり、それを愛でることに満足して歩き始めるがフッと不安がよぎる、といった様子を描写するようだし、290小節からのホルン(後ろで響くオーボエがなんてチャーミング!)、そしてファゴットとチェロ、クラリネットとヴィオラにつながっていく呼びかけのテーマの部分は、えも言われぬ寂しさを帯びていて、まるで絵画のように美しい。

 低弦にオスティナートが現れるとファンファーレでクライマックスとなり、属調からニ長調に転じて目覚めのテーマが高らかに奏される。ここが再現部のような気もするが、今一度静まりイ長調っぽくなり、トランペットによりニ長調で力強く奏される主要主題を聴いて再現部としよう。
 最初にニ長調で提示されて以来やっと元に戻った主要主題は、提示部で見せたような初々しくもおびえた表情は皆無で、なんて自信に溢れていることだろう。
 最後は、主要主題の主要動機である4度音程が強打されて終わる。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

ワルター指揮 コロンビア交響楽団<1961> 13'22"
 
かっちり古典的に演奏しているのに、初々しさがにじむ名演。力強く生命の息吹を放っているのに、決して押しつけがましくないため、聴き手が主役になれる。
 再現部前の<目覚めのテーマ>のホルンとトロンボーンのバランスなど完璧でしょう。
 主部の繰り返し無し。
クレツキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1961> 13'22"  LP(東芝SERAPHIM AA-5032)
 けっこう怪しいアンサンブルだが、一発勝負的な魅力のある演奏。
 何もしていないのになかなか素敵な<魔法部分>など、ウィーン・フィルの音色がものを言う。再現部前の<目覚めのテーマ>のホルンなど、これぞウィンナ・ホルン!って感じ。
 ドーヴァー版による。主部の繰り返し無し。
 57小節のクラリネット、リズム転げる。主部の始まりのホルン、数え違い(?)で65小節まで伸ばしが続く。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1966> 15'06"
 過不足のない表現と言えなくもないが、やや平凡。98-99小節や<恋のテーマ>の何気ないルバートは流石。
 序奏部のホルンがあまりに小さく響いて驚く。<自然胎動のテーマ>のティンパニの32分音符が聞こえる。
 125小節にTim.あり。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 14'28"
 情熱と理性のバランスがとれた名演。
 序奏部は雰囲気タップリな中に場違いなファンファーレが見事なアンサンブルで響き、微妙なアゴーギクも決まる。ホルンはブレスするがうまい。主部のチェロは強めに入るが決して繊細さがないわけではない。99小節や<恋のテーマ>のアゴーギクも素敵だ。
 展開部・ホルンによる<目覚めのテーマ>のヴァイオリンのトレモロが、まさに目覚めを感じさせるところが凄い。
 125小節にTim.はない。
ラインスドルフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1971> 13'25"
 序奏は速めのテンポでさっさと通り抜け、主部ではやや遅めの落ち着いたテンポを取るが、その設定は悪くない。
 しかし、神経質になるのを避けるためか最弱音を無視するため、その音響により生きた部分もあるが失った部分もある。
 序奏のトランペットはうるさい。125小節Tim.は微妙。終結443小節からトランペット追加。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1974> 15'30" LD
 マーラーの望みとは違うと思われるほど雄弁な序奏。主部はゆったりとウィーンの響きを如何にも愉しむかのよう。
 そう、全体的に細かいことには構わず(繰り返しを抜けたあとのフルートのリズムに差がないとか、スビトピアノができてないなど)、指揮者とオケの熟成途中の音楽のよう。しかし、魅力はたっぷりある。
 125小節にTim.あり。
・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団<1974> 16'36"
 何の不安もなく、自信に満ち溢れた足取りで始められる主部には少し驚く。やや騒がしい演奏。
 序奏部や<目覚めのテーマ>のppのホルンのうまさが驚異的!
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1977> 15'50"
 録音のせいかffで音が歪みっぽく濁る。演奏も鈍く濁っている。繊細とか、壊れ物とかデリケートなんてものはない。
 292小節からのデリケーティッシモ(?)で演奏されるべきオーボエなど、あんなに強靱に演奏されるのは初めて聴いた。
・小沢征爾指揮 ボストン交響楽団<1977> 15'40" LP(DG 2530 993)
 響きが美しく、実に流麗。清流に身を任せているかのように、気持ちイイ。しかし、繊細な部分を繊細に演奏してはいるが、そこに気持ちというか拘りが殆ど感じられない。
 たとえば<魔法部分>や、290小節からのホルンのうらのオーボエなど「あっそう」と言いたくなる。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1979> 13'12"
 主部に入って84小節くらいまでの主要テーマのルバートが凄い!! ホルンの<目覚めのテーマ>が2拍目のうらでルバートするのも共感!
 ライヴならではのキズも有るが、ライヴならではの自在感がいっぱいだ。<恋のテーマ>のルバートもさらに自然。<愛撫のテーマ>から<魔法部分>までも実に美しい。
 とにかく全編柔らかく、しかし、力強く息づいているのだ。
 125小節にTim.あり。主部の繰り返しなし。
ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団<1979> 15'01"
 実に面白い演奏。基本的にカロリーの少ない軽やかな演奏で、解釈の鋭さがいっぱいだが、根本的にオケの響きが柔らかいのだ。
 序奏では<自然胎動のテーマ>が妙にくっきりしているし、主部に入ると対旋律のバスクラリネットがばかに目立つ。98-99小節や最後に出てくる<恋のテーマ>のルバートの気持ちは分かるが、どこかとってつけたような表現。
 繰り返し後の109小節のホルンがEからDに下がらない。397小節のトランペット落ちる。
メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1980> 13'13"
 ppとpppの違いが生かされている。例えば、主部82小節前後、ppのヴァイオリンがdim.して、ppのヴィオラへ受けつぐところ、98小節のpppとpのバランス、167小節のあえかに呼びかけるチェロのppp、193-198小節のホルンのppとpppなど。
 それらが神経質にならないのは良いとして、初々しさも表現されていないところが今一つ。
 ドーヴァー版による。
・イヴァン・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団<1981> 17'21"
 じっくりと落ち着いたテンポだ。アゴーギクも、その基本テンポから逸脱することのない範囲で処理される。
 319小節のホルンののばしをちゃんとmfで吹かせるなど、丁寧に演奏していることは分かるが、青春の息吹みたいな新鮮さが後退してしまったのが惜しい。例えば292小節のホルンの裏のオーボエが殆ど聞こえないなんてのはつまらない。
 28小節で編集しているのか音場が明らかに変わる。
・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 16'37"
 やや「鈍」な演奏。つまり、何というか、年をとって繊細という言葉を忘れてしまったよう。ゆったりしたテンポで、良くも悪くもインターナショナル化したウィーンフィルの響きが立派に鳴り響く。
 125小節にTim.あり。
メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団<1986> 15'45"
 ニューヨーク盤から拘りをとり、表現を練って熟成させた感じ。面白みが減った分オケの鳴りもイイ。
 ドーヴァー版による。
バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1987> 16'23"
 リズムから強弱に至るまで、細部に拘ったリハーサルの行き届いた演奏。しかし、細部までハッキリものを言った分、雰囲気が後退したのは皮肉だ。
 展開部に入る前後の弦のポルタメントも、ウィーンでは溶け込んだ表現だったのに、ここではやや小賢しい。しかし、全体的には愛に満ちた名演。
 125小節にTim.あり。
 1回目は123小節の1拍目のうらに、繰り返し後は124小節の2拍目に“ジッ”という音場の変わる音が有る。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1989> 16'24"
 デリケートな音楽性に溢れた超名演! 全てに細やかな神経が行き届いていて、それが自然なのが良い。聞き流せば普通に聞こえて、拘って聴けばそれにも応える。
 序奏から主部に入る部分のテンポは独特だが説得力がある。そして、本当にデリケートに奏されるチェロ!! 98-99小節のフルート、オーボエのp、ヴァイオリンのpppのバランスは理想的。その後のトランペットによる主要主題の昇りつめたАの音がなんて美しく歌われることか!
 若きマーラーの繊細にして大胆なオーケストレーションが、理想的に鳴り響き、歌われているのだ。本当に、この主部全体は、宝石がいっぱい入った宝石箱を覗くよう!
 その後も、理性を残した音楽的情熱が、美しい生命を謳い上げていく。
・タバコフ指揮 ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団<1989> 15'30"
 序奏で1番・2番トランペットのミュートをつけた音色がいただけない。ホルンも下手なブレスなんかするな!
 表現意欲は買うが、例えば主部のチェロのクレッシェンドなどぎこちないし、<魔法部分>のスビトピアノはきれいだが少し失敗して『虹色の星屑』とともに現れるはずなのに『星屑無しで骨格だけ』出てきてしまったようだ。
小林研一郎指揮 ハンガリー国立交響楽団<1992> 16'10"
 眩暈がするくらいに美しい<魔法部分>は既に堂に入っている感じ。269-304小節の思い切ったテンポ変化による表現は、まさに絵画的だが、全体的にも細かいバランスがうまくとられている名演。
 しかし、ホルンの音色が平べったくコクの無い明るさで興ざめ。特に、前述の非常に美しくためらう絵画的部分のあと、291小節からの<呼びかけのテーマ>は、お笑いのようでいただけない。
・スベトラノフ指揮 ロシア国立交響楽団<1992> 16'22"
 どこといって悪い演奏ではないが魅力がない。良く考えられたバランスの響きということは分かるが、せいせいと鳴らしきらないもどかしさがあり、欲求不満になる。主部など、あんなに爽やかで新鮮な感動にうち震えるはずの音楽なのに…。361小節からのフルート、オーボエが聞えるなんてのは初めてだが、だからなんだっつーの?!
 こんなに心に響かない音楽も珍しい。
 繰り返し後の95小節でフルートがミスる(音がひっくり返る)。125小節にTim.あり。271小節のホルンはoffen。旧配置。(2002年4月)
ユーリ・シモノフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1994> 16'40"
 変わったことは全くしていない。少しアッサリしているとはいえ、思い切りが良くて気持ちの良い演奏。
 ホルンのかっこいいところをドーヴァー版から取り入れたよう…。
小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団<1998> 15'27"
 繊細で大胆で、コントロールされた情熱が必要なこの曲の演奏だが、常に水準以上は維持されている。しかし解釈が整理された分、必然性まで減少してしまい今一つ。やや平凡だ。
 序奏部分のトランペットが大きくて驚く。47小節のティンパニはハッキリ刻む。
 167小節のピッコロが無い。166小節は吹いているのにどうして落ちる?

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第2楽章

 「帆をいっぱいに張って」と言う、後に破棄された表題がぴったりするような主部は、土俗的な舞曲のようでもある。4度動機の冒頭から、全く陽気で快活で力強い。

 ホルンが強く、しかし優しく極めてデリカシーをもって探りを入れるように呼びかけて始まるトリオは、一転して艶めかしくなる。
 妻か恋人か、それとも娼婦なのか、とにかく女性の存在を強く匂わす柔和なワルツが奏でられる。
 そして、ホルン信号が鳴ると、短縮された主部が戻って終わる。

 主部が理想(高い志)ならば、トリオは現実(現世への執着)。主部が現実(虚勢)ならば、トリオは理想(憧れ)と言えるかもしれない。
 トリオのG-Durに転調したところからは、主部の動機を織りまぜることにより、まるで、恋人同士の会話のようにも聞こえる。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました。

ワルター指揮 コロンビア交響楽団<1961> 6'51"
 無駄な動きのない、きっちりとまとめあげられた名演。
 すっきり、サラリとしてしかもコクがある。なんか銘酒の味わいみたい。
 ところどころドーヴァー版を採用。157小節・3拍目の裏を弾かないVaとVcのリズムはワルター版か? Trio後半でVn飛び出す。繰り返しなし。
クレツキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1961> 8'12"  LP(東芝SERAPHIM AA-5032)
 洗練されてない、武骨なくらいのウィーンの響きを見事に引きだした演奏。特に変わったことはしていないが聴きごたえあり。
 ドーヴァー版。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1966> 8'12"
 24-26小節の絶妙なリズムの間が良い。Trioのアゴーギクも魅力的。しかし、ややデリカシー不足か。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 6'55"
 録音のせいもあろうが、骨っぽい演奏。余計なことは一切しない。Trioもスッキリだ。
 91小節のTrpあり。121-122小節のファゴットをホルンにするなど、ドーヴァー版の部分あり。繰り返しなし。
ラインスドルフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1971> 8'32"
 けっこう雄弁な演奏。しかも細部にまで意志が通っている感じ。
 Trioは真面目な人が、自分と正反対の性格を一生懸命演技している感じで微笑ましい。
 部分的にドーヴァー版。88-91小節のトランペットが随分小さい。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1974> 8'38" LD
 Trioが最高! 
 その音色、そのルバート、そのポルタメント、ため息が聞こえてきそうな位に息づく音楽!!
 こんな演奏は空前絶後だろうな。
 104小節の低弦が、まるでコルレーニョの強奏のように聞こえる。
レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団<1974> 7'37"
 速いテンポの、殆どうるさいだけの演奏。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1977> 7'45"
 所謂、ふつーの演奏。録音のせいかffが歪みっぽく汚い。
小沢征爾指揮 ボストン交響楽団<1977> 7'33" LP(DG 2530 993)
 実に爽やか。しかし、Trioまでこんなに爽やかではね・・・。まるで、サラサラと流れる春の小川。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1979> 7'03"
 基本的にスッキリしてるのに、深い味わい。Trioの木管は即興風遊びがデリケート且つ大胆!
 部分的にドーヴァー版。繰り返しなし。
・ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団<1979> 8'35"
 2,4,24,25小節でリズムに間を空けるなんてのは好きだが、こういうのは繰り返しちゃいけません。
 Trioの表情付けもこってりしてるけど、とってつけたような不自然さがのこる。響きも軽い。
メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1980> 7'43"
 37小節のリズムをはしょってウィーン風にするといった小技もあるが、基本的にオケを良く鳴らした気持ちのいい演奏。
 Trioの雰囲気も妖しい感じが出ているが、ここはドーヴァー版だと今一つだ。
イヴァン・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団<1981> 8'03"
 2小節目からのヴァイオリンとヴィオラによる音型パターンが、楽譜通り演奏されている! 初めて正しいリズムで演奏されるのを聴いた!!
 主部も、Trioも清潔な演奏。冷めているわけじゃないけど、決して激さない。
・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 8'56"
 のんびりした遅いテンポ。胸のときめきや鼓動が全く感じられない。
 Trio187-190小節のクラリネットにドーヴァ−版にしたがってヴィオラを重ねているように聞こえるが、ここだけは絶対ドーヴァー版が劣る部分だと思う。
・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団<1986> 7'43"
 ニューヨーク盤をもっとあっさりさせたような感じ。
 完成度は上がったが、Trioなどつまらなくなってしまった。
 ドーヴァー版
バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1987> 8'55"
 遅いテンポに必然性が感じられ、各楽器がそれぞれ雄弁に語る。Trio前半はウィーン盤と比べなければ充分に満足できる艶と雰囲気を持つし、後半の味の濃さはさらに上をいくか!?
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1989> 8'06"
 美しい響きで青春を謳歌する名演。14小節からの豪快なホルンの吹き飛ばしは最高! Trioはバーンスタインと正反対。美しく無邪気な乙女だ。
 90小節から93小節の1拍目まで、ホルンが妙に近くに聞こえる。編集のあとか?
・タバコフ指揮 ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団<1989> 8'01"
 演奏意欲は評価するが、今一つ魅力に欠ける。22小節と302小節のリタルダントも必然性がなく、効果的とは言えない。
 124小節の2拍目に変なピツィカートの音がする。
小林研一郎指揮 ハンガリー国立交響楽団<1992> 8'31"
 2小節目からのヴァイオリンとヴィオラによる音型パターンは、明らかに8分音符を16分音符に変えているのもイヤだし、133小節と322小節のVorwa"rtsで唐突に速くしすぎるテンポもイヤだ。
 28-29小節のポルタメントも生きていない。ここは風圧を感じさせるようにやらなくっちゃ。
 50小節からのホルンのゲシュトプフの頭がはっきりしないなんてのも、表現に曖昧さを残す一因になっているような気がする。
・スベトラノフ指揮 ロシア国立交響楽団<1992> 8'26"
 なんとも不思議な演奏。冷たくないけど、情熱は感じられない。透明感のある響きだけど、繊細ではない。
 121-122小節のファゴットをホルンにするなど、ドーヴァー版の部分あり。面白いのはTrio187小節からのファゴットで、他のパートは全集版なのにファゴットだけドーヴァー版。(2002年4月)
ユーリ・シモノフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1994> 8'30"
 ホルンを筆頭にオケを全開したような鳴らしっぷりが、本当に気持ち良い。TRIOが健康的すぎるのは仕方ないし、悪くもなかろう。
 ところどころドーヴァー版。驚くのはTRIO・187小節から、基本は全集版なのにホルンのみドーヴァー版。
小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団<1998> 8'05"
 2小節目からのヴァイオリンとヴィオラによる音型パターンは相変わらずダメだが、そのほかはイイゾ! 表現が整理されテンポ変化もスムーズだし、だいいち美しい。そして、情熱も決して忘れていない。

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第3楽章

 主部中間部再現部の3つに分かれているが、主部はさらに第1主題部第2主題部の2つに分けることができる。
 ティンパニの単純な4度音程のリズムにのってコントラバスのソロ(最新のスコアでは全員で弾くというが如何なものか…)に始まるカノンが、第1主題部だ。重く荘厳な葬送の行進のようだが、どこか人を食ったようなメロディだ。だって、民謡「ジャックの兄弟」を短調にしただけのメロディを使っているんだから。そこに、オチョクルようなオーボエ(19小節)の動機が加われば、完璧パロディだ。

 オーボエのデュエットで嫌々始まるような第2主題部は俗っぽく、正に“東方ユダヤの歌”のイメージだ。しかし、マーラーは器楽でその歌を存分に生かすオーケストレイションで、心の故郷を思い起こさせるような懐かしさを表出し、普遍性を獲得している。
 第1主題が回想されると、ハープと低音のフルート、クラリネットに導かれて中間部に入る。

 優しくあえかに上昇するヴァイオリンの旋律は、16分音符で転がり落ちる対旋律を従えている。それを受け継ぐフルート、オーボエも同様で、実に儚い。この美しくて儚い夢の世界は、やはり残念ながら長くは続かない。「さすらう若人の歌」第4曲・後半と同じ旋律によるこの中間部は、歌のない分、一層デリケートで美しい。「第一」の中でも、第1楽章主部の始まる部分とともに最も魅力的な部分の1つだ。

 再現部は、主部のニ短調に対して半音高い変ホ短調になっている。テンポもやや速めるべきで、ちょうどレコードの回転数を上げたような効果となる。
 ニ短調に戻って第1・2主題が融合されると、そのままコーダに入り4度音程が打ち鳴らされる中、静かに消えてゆく。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました。

ワルター指揮 コロンビア交響楽団<1961> 11'24"
 
最初の2小節間、明らかにティンパニの音程が高く、コントラバスのソロが弾きにくそうだ。
 第1主題部の付点リズムを鋭い復付点にするのも悪くない。中間部の落ち着いた足取りは、諦観を含むメロディの和声まで美しく響く。
 再現部からコーダにかけてのテンポ変化も心の襞をなぞるようで繊細だ。
クレツキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1961> 10'49"  LP(東芝SERAPHIM AA-5032)
 リズムの処理は甘いし、バランスもテキトーな感じで、表現の整理が中途半端。なのに、いい雰囲気がでている。なんで?
 中間部は繊細でないのに艶めかしい魅力。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1966> 10'18"
 スコアの細かい指示に忠実に従うところと、大胆に変更しているところがあり、それが成功している場合と失敗している場合がある。
 第2主題部の大胆なルバートはツボにはまっているが、72小節からのヴィオラとチェロが強いのにはびっくりだ。再現部もね。で、あまり効果的とは思えない。
 中間部がそれ程美しくないのにもがっかり。
  136-137小節のホルンが1st.のみoffenかもしれない。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 10'36"
 第2主題部でトランペットのアクセントを強調するところ以外は、まず大げさなところの無い演奏。常に理性の目が光るが、溢れんばかりの愛情が根底にあるのだ。内面的美しさとでも言ったら良いか。
 中間部のオーボエのテーマにつけられたルバート(96小節-)の気持ちには共感する。
・ラインスドルフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1971> 11'40"
 第2主題部を“押し”を効かせないでやると、やはりマーラーでなくなるな。
 ところどころで左右チャンネルのバランスがおかしくなる。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1974> 10'13" LD
 速めのテンポにのって、1小節づつ区切って少し強めに弾かれるコントラバス・ソロはほぼマーラーの理想ではないだろうか。
 第2主題部は“押し”が効きまくった奏し方。56小節の下降ポルタメントは「違うぞ」と思いながらも、好きだ。
 中間部はアンサンブルがずれながらも絶妙のppで入ってくるヴァイオリンが、実に優しい表情で心惹かれる。しかし、その後の浄化が足りない。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.のようだ。
レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団<1974> 11'24"
 最弱音無視のマーラー。
 この曲のメロディや流れは良くわかるし、内声も生きていて安心して聴けるが、やはりマーラーはどこかおどおどした不安げな表情をひそませないとね。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1977> 10'44"
 特別変わったことは何もしていない、端正な演奏。中間部も普通に美しい。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
・小沢征爾指揮 ボストン交響楽団<1977> 11'15" LP(DG 2530 993)
 コントラバス・ソロは1小節ごとcresc.、dim.をつけ、思い入れたっぷりに弾かれる。その後も過不足無い表現が美しく続き、中間部の優しさもかなりのものだ。なのに、惹かれることの無い演奏。なぜだ?
 3回も聴きなおしてしまった。
 優れた音楽性だけで勝負していて、実は共感していないんじゃないだろうか? 例えば、64小節からのヴィオラの狂おしいようなespress.のフレーズが全く無視されているのなど、その証拠だ。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1979> 11'37"
 共感に満ち溢れた変幻自在な超名演。美しくも妖しい雰囲気たっぷりなのにポルタメント無し!
 中間部のオーボエのうまさは特筆もの。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco. 125小節のフルートはCesでなくB。158小節でファゴットがコケるのは御愛嬌。
ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団<1979> 11'45"
 第2主題部や再現部以降の大胆なアゴーギクはツボに嵌まっているし、第1主題部のカノンも各楽器の音色ごとにうまく処理されている。それぞれの表現自体はねちっこいのに、聴いた感じはアッサリしている。ヘンなの。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.。 125小節のフルートはCesでなくEs。
・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1980> 11'26"
 主部は、表現を抑制しすぎて失敗した感じ。ハープを生かした中間部は、実にデリケート。
 19小節でオーボエが入るとテンポがころがる。遅いテンポが保てないのだ!
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
・イヴァン・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団<1981> 11'55"
 コントラバスのソロこそ、少しおっと思わせるが、結局平凡。全体に、響きは美しいし中間部も綺麗だけど、もう少し違う世界へいざなって欲しい。
 タムタムの音程がヘン。あれ? タムタムって音程あったっけ…。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.  136-137小節のホルンが1st.のみoffen。この音色変化はなかなか効果的で面白い。
マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 11'41"
 第2主題部と中間部に魅力的な響きがするが、全体としてはやや平凡。アナタ、マゼールでしょう?
メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団<1986> 11'19"
 ニューヨーク盤との表現を完成させたようなもの。相変わらず中間部はデリケート且つ美しい。
 50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1987> 10'25"
 第1主題部を速いテンポで通過し、第2主題部を待ってましたとばかりに“押し”の強い節回しで表現するのは、旧盤と同じだ。
 62小節からの各楽器の生かし方など、理想的だろう。
 中間部を色濃い表情付けするのも魅惑的ではあるが、ここはそういう音楽ではないとも言える。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1989> 11'55"
 これを完璧と言わずして、どこに完璧な演奏などあろうか!
 死んだ自分を冷静に観察するもう一人の分離した自分による表現のような凄みすら感じる。この曲は、そういう内容の曲だ。
 49・50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco.
タバコフ指揮 ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団<1989> 10'54"
 こりゃ、ダメだ! 子供の演奏みたい。ミスも多い。
 38小節のハープは聞こえないし、第2主題部・59小節でクラリネットが#を見落とすせいか、半音低いAsを吹き驚く。
 中間部・87小節のヴァイオリンのgliss.は超汚いし、再現部直前のフルートが入るところは、1拍くらい余計にのびる。何を勘違いしたか120小節のヴァイオリンはフォルテで弾くし、終りのチェロとヴィオラの強弱は反対だ。その後のバスクラリネットはdim.し過ぎて1小節以上短く消えてしまう。
 本当に、プロの演奏?
  136-137小節のホルンが1st.のみoffen。
小林研一郎指揮 ハンガリー国立交響楽団<1992> 11'32"
 アンサンブルも解釈自体も未完成といった感じ。ppやpppの扱いがぞんざいで大雑把。気持ちはこもっていてもデリカシーが感じられない。
  136-137小節のホルンが1st.のみoffenかもしれない。
スベトラノフ指揮 ロシア国立交響楽団<1992> 12'54"
 物凄く遅いテンポですこぶる弱く始まる。しかし、決して神経質な感じにはならず、楽器が増えてもピアニッシモを無表情に維持するところが凄い。
 第2主題部も中間部も無表情。そのアゴーギクも歌も妙に美しい無表情。
 再現部はヘンだ。
 まず、118小節からのクラリネットは強めにもったいぶって入る。その後124小節からのトランペットが異様なくらいの表情付け。音程が悪くなるほどの大きなヴィヴラート! これは決してエスプレッシヴォではない。奇妙な音楽。
 125小節のフルートはCesでなくEs。(2002年4月)
ユーリ・シモノフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1994> 11'43"
 主部、特に第2主題部のフレージングはとてもさっぱりしている。味が出てくるのは中間部以降で、ぐっと良くなる。まあ、特別なことは何もしていないのだが…。
小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団<1998> 10'34"
 かなり完成している。第2主題部のアゴーギクも自然だ。しかし、やはり弱音に対するデリカシーが欲しい。
 49・50小節の2nd.VnとVaの4分音符はarco. 136-137小節のホルンが1st.のみoffen。

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第4楽章

 第4楽章は、殆ど第1楽章の素材を強化発展させたようなものだ。
 あんなに初々しく新鮮だった主人公は、貴い志を抱きながらも何回もの挫折を経て強大な精神に変身した。まるでアナボリックステロイドで強化された筋肉人間のように…。それは、マーラーの夢だったのだろうか…?

 シンバルの一撃で始まる導入部は、第1主題の動機が荒れ狂うように分断されている。しかし、バラバラにされたリボゾームRNAが、もとの形に戻るように蠢きながらテーマが形成されていく。そして、ついに毅然として姿を表す第1主題部は第1楽章の呼びかけのテーマでもあり、そこには自然胎動のテーマも息づいているのだ。
 しかし、この第1主題も次第に崩壊してゆき、うめくような弦と猛烈なクレッシェンドの管の響きで何回か引きちぎられ(149小節〜)、いったん雲散霧消してしまう。
 どこからともなくシンコペーションのヴァイオリンが忍び寄ると、低弦、ヴァイオリンの順に退廃的にグリッサンド下降して第2主題部になる。
 この美しくも息の長い第2主題は、ホルンの伴奏といいオーボエ・クラリネットの合いの手といい、まるでチャイコフスキーのように実にセンチメンタルだが、他の緩徐主題に比べて深みが今一つで残念だ。3連符音型が出ると音楽は高揚するがすぐに鎮まり、昔を懐かしむようなホルンのオブリガートが奏されたあと、自然胎動のテーマが現れる。そして、弦のトレモロにより急激なクレッシェンドで第1主題が呼び戻されると展開部になる。

 まずは両主題部のテーマが引き裂かれ、狂おしい叫びが続く。いったんハ長調で鎮まると(この部分<290小節>、ドーヴァー版にはホルンが無い)第1主題が優勢となり、ハ短調になって導入部のような嵐がやってくる。
 第1主題のファンファーレ音型とともにハ長調で第1主題が高らかに吹奏されると、ルフトパウゼを経てニ長調に転じ終止部となる。
 歓喜の爆発のような天国への到達の表現。ここの打楽器の使い方は実に効果的で迫力満点。マーラーの面目躍如と言えよう。
 そして、その後ホルンによって示されるテーマこそこの曲の核心だろう。第1楽章・序奏部の動機を力強くニ長調で吹き飛ばすものだが、これこそ天国のテーマと呼びたい。

 いったん静まり第1楽章が回想されると、自然描写の雰囲気を残したままヘ長調で第2主題の再現へつながる。今度はセンチにならず、訴えるような昂ぶりを示してからシンコペーションで抑えられていく。その静けさを切り裂くようにヴィオラが突然叫ぶが、これは第1主題再現の合図なのだ。
 その後、ニ長調に転じたファンファーレからがコーダとなる。

 変形した第1主題はファンファーレと見事に融合し、天国のテーマの導入役を務める。天国のテーマはホルンの最強奏でしつこく確認するように繰り返され、最高のクライマックスを迎えるのだ。特に679小節からのヴァイオリン、ヴィオラの粒立った8分音符の伴奏を従えた凱歌は感動的。
 最後は、強烈な打楽器のトレモロをを経て大迫力の中、ニ長調の和音ではなく全て(ニ)の音でスパッと切り取られる。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました。

ワルター指揮 コロンビア交響楽団<1961> 20'24"
 
老練な解釈が若々しく再現されている超名演。大音響も決してうるさくならず、録音のせいもあろうが各パートの浮き沈みが見事に音楽的。第1主題の提示で落ちるテンポも、85-86小節と573-574小節のルフトパウゼも堂に入っている。
 展開部前のトレモロによる弦のクレッシェンドが足りないのは、編成が小さいからか?
 327小節でティンパニが飛び出す。350小節のホルンはディミヌエンドなのに(一人だけ)クレッシェンドしている。
クレツキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1961> 17'22"  LP(東芝SERAPHIM AA-5032)
 第1主題の提示部分(54小節)を筆頭にアンサンブルの乱れるところが結構あるが、ライヴのようなエネルギーに満ち溢れた演奏。勿論第2主題の歌だってしっとりしているが、強靱な弦と野太いホルンの野性的な咆哮は実に魅力的。それだけに679小節からの凱歌が聴けないのは寂しい。
 ほぼドーヴァー版と同じ。671小節から710までカット。495-496小節に編集したかのような切れ目がある。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1966> 18'52"
 第2主題のアゴーギクと歌い方は流石でぐっと惹きつけられるが、第1主題部のテンポの動きが今一つだ。気持ちは分かるものの、スケールが小さくなっている。
 第1主題再現の前のヴィオラ(524小節)には、真ん中の音にしっかりとアクセントがつけられており、こういう拘りは評価したい。
 476-477のホルンが落ちてる?
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 17'36"
 濃厚な表情づけはないが、決して四角四面ではない。
 第1主題のルバートも音楽的だし、第2主題は強さや気高さまで感じさせるほどだ。ただし、展開部の終止部への入りは、ややぶっきらぼうでサービス不足か? ここは表面的効果を狙ってもいいのでは…。
 679小節からの凱歌の伴奏8分音符は完璧。内面からわきあがる力が見事。真摯の人クーベリック!
ラインスドルフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1971> 19'45"
 かなりの力演。
 音色は今一つだが、ホルンの強奏は激しく悲痛だ。殆ど最弱音がないのは、アナボリック・ステロイドのせい?
 録音のせいかもしれないが712小節以降は響きがぐちゃぐちゃ。
 63-67小節のホルンはゲシュトプフ。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1974> 19'02" LD
 最初の一発、一撃されるシンバルの音色(8小節目との音色がちゃんと違う)がこの演奏の凄絶さを物語っている。
 まるで、指揮者とオーケストラの対決のよう。それが、まるで魂が呻きのたうち回るようにうねりまくる。
 なぜか153-154小節のパターンが1回多い!! 524小節のヴィオラは1個目と2個目の8分音符のスラーを切る。
・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団<1974> 19'25"
 第1主題提示部には良いところもあるが、力任せの大味な演奏。
 ティンパニは627小節で3連符を叩かず628小節のリズムを叩く。そして628小節はなし!
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1977> 19'16"
 例えば、273小節からの木管のff→mfという音量変化など、細かい部分への気配りも感じられるし情熱も感じる。もっと録音の良いディスクならイメージも上がるか?
 635小節の2拍目にティンパニ・「A」の音追加。675-678小節の1拍目にも「D」「C」「H」「B」と叩く。
小沢征爾指揮 ボストン交響楽団<1977> 19'51" LP(DG 2530 993)
  冷静でありながら、しっかり血の通ったフレッシュな演奏。響きが新鮮で魅力的だ。
 434小節でトランペットミス。657小節からティンパニ追加。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1979> 19'18"
 即興的ニュアンスが冴え渡る名演。
 これで、録音がもう少しクリアならなあ…。
 最後にティンパニ追加。
ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団<1979> 20'03"
 全然燃えない、主観的演奏。つまり、テンポもバランスも細かいニュアンスも、全て指揮者の意志が通ってはいる。物凄く遅い第2主題は、さらにルバートが掛かりまるで進むのを拒むようだ。なのに濃厚にならない。
 不思議なケーゲルの個性。
 434小節のバスドラムは落ちているのか?
メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団<1980> 19'44"
 表情も音色も、そして迫力もオーソドックス。足りないものは初々しさ。と言うことは、この楽章の正当な演奏と言えるのか?
 第2主題の伴奏ホルン(シンコペーション)がない(175-204小節)。最後にティンパニ追加。あとは殆どドーヴァー版。
・イヴァン・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団<1981> 21'08"
 全体的に遅いテンポ。
 導入部から第1主題部までは、そのテンポがうまく生かされている。木管がもう少し聞こえてくれば、まるでクレンペラーのようになったかも。しかし、第2主題から最後まではダメ。ウソみたいに平凡。冷たくもないし、熱くもない。全く激さないぬるい演奏。がっかり。
マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 20'35"
 ボディビルダーの筋肉を見るような演奏。
 am Steg(駒の近くを弾く)が不気味に響いて突入するド迫力の展開部は、その終止部がさらに凄い。天国というよりは悪魔の高笑いのよう。終結では、堂々たるテンポの中、打楽器のトリルを凌駕してねじ伏せるようにトロンボーンの低い叫びが響き渡る(723小節〜)
・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団<1986> 20'25"
 導入部の、バランスをとりながらの嵐はなかなかのものだが、全体的に平凡。
 第2主題の終りのクレッシェンドのリタルダンド(219小節)を無意味に引っ張ったり、649小節から突然早くしてテンポがコケ、その後の動きも煩いだけだったりで、無駄が多い感じ。
 基本的にドーヴァー版だが、63小節からのホルンはoffenに聞こえるし、496小節にはシンバルの一撃が入る。
バーンスタイン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1987> 20'29"
 ぎりぎりの理性を保った熱い演奏。場面々々でのテンポの動きが的確。ケーゲルさん、メータ君、アゴーギクはこうやるんですよ!
 第2主題の歌い方も、am Stegの響きも、展開部・終止部の迫力も、終結のテンポと響きも流石に堂に入っています。
 524小節のヴィオラは1個目と2個目の8分音符のスラーを切る。最後に打楽器追加。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1989> 21'41"
 相変わらずの美音は良いけど、やや平凡。
 153-154小節を極端に遅くした苦しさの表現みたいなものがもっと一杯あればな…。
タバコフ指揮 ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団<1989> 21'41"
 聞き流せば悪くはないが、しっかり聴くとかなりオケが下手だ。
 何せ、強音に殆ど力が感じられない。弦は人数が少ないのか鳴りが悪いし、ホルンは頑張っているがトランペット、トロンボーンなどヘナヘナ。録音のせいってことはないでしょ?
小林研一郎指揮 ハンガリー国立交響楽団<1992> 22'00"
 ライヴとはいえ、少しアンサンブルの乱れが気になる。
 導入部から第1主題にかけての堂々としたテンポは、風格ある表現に結びついているし、燃えに燃える終結は驚異的なバスドラムのトレモロを伴う最強打が圧倒的!
 483小節の間は即興的な緊張感があってイイ。
 しかし、第2主題部と展開部がやや平凡だ。大きなルフトパウゼも、第1主題部より(86小節,574小節,151小節-)天国へ到達する部分(375小節)にほしい。
 最初のシンバルは叩かずに合せているし8小節は落ちている。最後に打楽器あり。
 370小節前後などに、遠くで鳴る昼間の花火みたいな音が数回聞こえる。足音か?
 第1主題再現の前のヴィオラの部分は、コバケンのブレスが煩い。
スベトラノフ指揮 ロシア国立交響楽団<1992> 19'17"
 間のびしていることはないし、贅肉もついていないけど、なんか腹に力の入らない演奏。如何にもフランス由来のロシアトーンを出すホルンが、フォルティッシモの時に抑え気味なのも一因か? 全ての楽章で言えることだが、響きにカロリーが無いのだ。
 ゆったり歌う第2主題も、あのようなルバートがあれば心に響きぞくぞくするような感動があってもおかしくはないのに…。
 最後にTim.の強打あり。(2002年4月)
ユーリ・シモノフ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団<1994> 19'45"
 強弱も一つ一つの音符の長さにしても、曖昧なところの全く無い名演。気持ちイイ! ドーヴァー版から独自に取り入れたパートなども生きている。672小節でテンポを速めるのには少し驚くが、その後を含めて悪くはない。
 297小節で突然音場が変わるのは編集のあとか? 63-66小節のホルンはoffenにゲシュトプフも入れてあるみたい。138-139小節にドーヴァー版から5番・6番ホルンのパートを追加。
小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団<1998> 19'59"
 オケの美しさと激しい情熱に圧倒されるが、理性を失うことの無い名演。テンポ変化も無駄がなく、本当に情熱的であり理に適っている。
 63-66小節のホルンはゲシュトプフ。“Von hier nict mehr breit”の1小節前(711小節)にティンパニ(バスドラムか?)の一撃が入る。最後に打楽器の強打あり。

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