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交響曲第3番
第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章第5楽章第6楽章

2001年3月

 

第1楽章

 《第1提示部》は、いきなりホルンのソロで始まる。この8本のホルンで「きっぱりと」奏されるのは『夏のテーマ』とも言えるもので、全曲の象徴となっている主要主題だ。このテーマが低い蠢きの中に静まると、第5交響曲を先取りするような重いリズムに支えられ、いろいろな動機が現れはじめる。ここからが『永遠の大地』を現す〈第1主題部〉だが、種々の動機に導かれて姿を現すのがホルンによる長大な『大自然のテーマ』で、3連符に特徴がある。これは非常におどろおどろしく劇的で、スケールが大きい。うっかりしていると、地の底に引摺り込まれそうだ。
 しかし、このテーマは劇的であるとはいえ決して主役ではなく、言ってみれば主役の背景描写的な役割を持たされた『夏のテーマ』の応答と言える。では、主役の第1主題はいったいどこに? なんと、ここではその姿を片鱗しか表さないのだ。その片鱗とは『大自然のテーマ』の前に、低弦が狂おしく駆け上がってから「ド(C)、シ(B)、ラ(A)」と降りてくる「ラ(A)」の音、三度強奏強打されるあのトロンボーンによる「(A)」の音なのだ! そして、その全貌を聴くには《第2提示部》を待たねばならない。
 〈第2主題部〉はヴァイオリンのトリルとフルートに導かれる。まずオーボエ、そしてソロ・ヴァイオリンに歌われる第2主題は、愛くるしくデリケートで無邪気だ。『花と小動物のテーマ』とでも呼びたいが、ここでは変形されており、完璧な姿として聴くためには、やはり少し待たねばならない。

 突然、クラリネットが痙攣したように叫び『牧神の存在』を匂わして〈第2主題部〉が終わると、《第2提示部》になる。
 まずは〈第1主題部〉の再提示だが、この「(A)」の音で始まるトロンボーンこそ、まさに待望の主役の第1主題なのだ。これは大自然賛歌のこの曲の中で、やや異質なくらい艶めかしく狂おしく、人間の根源的な嘆きを感じる。しっかりとした拍動を刻みはするものの、脆さをも同居する母体内の胎児を連想するのは僕だけだろうか? 無防備の剥き出しの生命のよう。
 大自然のエネルギーが地の底へ吸収されるように静まると、第2主題が再提示されて長い〈第2主題部〉となる。この第2主題は、オーボエの前にコントラバスによって正しく歌われるが、いかんせんコントラバスでは滑稽だ。
 クラリネットによる、痙攣のような、小鳥の呼び声と言えなくもない楽想(第4交響曲につながる)で完成された第2主題が求められる。いよいよ牧神の目覚めだ。『牧神の動機』がチェロ、1stヴァイオリン、2ndヴァイオリンに現れると、夏のテーマに基づく付点のリズムに溶け込んだ行進主題がクラリネットから始まる。しかし、これも『花と小動物のテーマ』を求めているもので、明るく軽くイロニーを感じさせる。ホルンにより実に軽やかな足取りで『夏のテーマ』が吹奏されると、ついに完全な第2主題『花と小動物のテーマ』が木管によって現れる。
 ここでは『夏のテーマ』から派生した種々の動機が、『夏のテーマ』それ自体と『花と小動物のテーマ』を際立たせ、夏を徐々に生き生きと謳歌させる。

 夏の行進が〈コデッタ〉に入り、『夏のテーマ』と『花と小動物のテーマ』から派生した『自然賛歌のテーマ』ともいえる終結主題が、実に広々と自信に満ちて奏される。すると、いよいよハープのアルペジオを伴うクライマックスを迎え、最高の力を持ったホルンによる巨大な『大自然のテーマ』で《第1展開部》が始まる。大自然の咆哮だ! そして、そのテーマの最高潮、まさに迫力満点の『夕立と雷鳴』の部分が来る。
 大気が清められると、ひんやり漂う木霊の中、感傷的なトロンボーンのモノローグが誘導され、それをコール・アングレが受け継ぐ。

 《第1展開部》の聴きどころは全部と言っていいくらいだが、雄大な『自然賛歌のテーマ終結主題を上品に変容して歌うソロ・ホルンにソロ・ヴァイオリンが絡み、チェロからクラリネットに受け継がれていく部分は最も美しく、そして優しい。安住したい誘惑に駆られる。第7交響曲・第4楽章の中間部につながる部分と言えるだろう。ここを『安住部分』と呼びたい。
 その後、それを邪魔した低弦によるやや剽軽な『牧神の動機』で《第2展開部》が始まるが、そのあとのフォルティッシモはなんて粗野(roh!)なんだ。
 曲は『牧神の動機』と『大自然のテーマ』が主導権を握り、他のテーマと種々の楽想が入り乱れて盛り上がるが、トロンボーンによる『夏のテーマ』の登場で不安定な自信が確信に変わり、恥ずかしいくらいのノーテンキな行進となる。--- 見て! あの得意そうな顔。--- そういえば『牧神の動機』にはドヴォルザークの第8交響曲・フィナーレの、あの気恥ずかしい楽想と同じ部分が含まれる。
 『牧神の動機』と『夏のテーマ』がクライマックスを作り、鬩ぎあいながら消えていくと、それらを無視したテンポによる小太鼓が<8本のホルン>を導き、ちゃんとした『夏のテーマ』が帰ってくる。《再現部》だ。

 再現された『夏のテーマ』に続くのは勿論〈第1主題部〉の再現だが、消えゆく最後に主役のトロンボーンが「C」「B」「A」と奏し、最初に戻ったことを暗示する。そして、チェロによりそっと強調される第9交響曲のアダージョのテーマの先取りは、剥き出しの生命を優しく包み込むようで実に印象深い。
 その後、牧神が少しづつ蠢き、様子を窺いながら全てのテーマが夏の行進に参加していく。ここでは足が地に着いているので嘲弄的ではなく、幅広い表現が力強く美しい。今度こそ、本当の夏の行進だ。
 自然賛歌の終結主題が力強く提示されると〈コーダ〉に流れ込み、最後は非常に切迫して謳歌した夏を鋭く引き裂いて終わる。ただし、本当の終わりの調であるべきニ長調でなく、提示部の終わりの調であるべきヘ長調で。ここは、まだ提示部だったのか…?
 こうして、この曲は第2部へつながっていく。このようにマーラーはこの楽章を一番最後に書き上げたのだ。

 マーラー曰く、自然といえば牧神を忘れてはならないが、この曲における『大自然(大地)=絶対者としての神』と言うスケールの中では、その牧神ですら小さなものだと言えるような気がしてくる。
 思考の芯の部分には既に『大地の歌』の要素があるが、死への憧れは微塵もない。生に、現実世界に肯定的な名俳優・楽天家マーラーが前面に出ている作品と言えよう。既に花開くマーラー・サウンドも魅力的。
 第3交響曲の『総論』として納得できる名曲だ。第2部は『各論』。

2001年6月改訂
川崎高伸さんの教えに感謝の意を込めて

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 33'13"
 展開部のノーテンキな行進でテンポを上げるところなどツボに嵌まっているし、グロッケンの扱いが実にチャーミングで美しいが、全体的には平凡。もう一つ魅力が欲しい。512小節からのオーボエミスる。609小節〜、778小節〜小太鼓の追加。
ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 32'09"
 オケの実力が今一だしアンサンブルも怪しい。しかしそれよりもマーラー語法で演奏していないのが物足りない。冒頭の“nicht eilen”とか“安住部分”の様に素晴らしいテンポ感覚を示す部分があるのに、アクが取れ過ぎている感じでマーラーの魅力が減っている。
 展開部の「夕立と雷鳴」部分(415小節〜)で大太鼓が落ちてる! 581小節の4拍目の小太鼓にトレモロがない。609小節から小太鼓追加。(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 31'05"
 テンポも響きも曲に没入しない、純音楽的且つ情熱的名演。ややスケールが小さく、ブルックナー的深遠さが欲しい。展開部の安住部分は実に清潔で美しい。609小節から小太鼓の追加。旧配置
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 32'36" LD
 アンサンブルは怪しいし録音もちょっとヘン。でも、この曲の意味の全てを分らせてくれる超名演。曲に対する愛情が熱く伝わるし、第一愉しい。609小節から小太鼓の追加。
メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 33'07"
 後から押し出すように始まるホルンがヘンだが、ティンパニの凄い合いの手で納得する。全体的には曲を良く理解している好演で、充分愉しめる。『夕立と雷鳴』の部分で、トランペットの7連符を3+4で演奏するのは今一。785小節でホルンミスる。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 33'08"
 スコアの読みも深く熱い演奏だが、響きが乱暴。うっとりするような所があってもいいんだヨ。クーベリックとは全く違う演奏だが、ブルックナー的深遠さも欲しいという不満が一致。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 30'45"
 シカゴ響の威力とショルティの凄みを実感させる名演。余計なものは一切無く大事なものまで削ぎ落としてしまったか、曲としての凄みはそれ程でもない。ショルティおじさん、何か頂戴!
レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 33'50"
 流石という感じの美しさと味の濃さを持つが、やや仕上げ不足か。展開部の安住部分は美女に甘えられるかのような美しさだ(あの506小節 Sehr Zart からのテンポの落とし具合!)。37小節でトランペットがミスる。
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 33'57"
 曖昧さが無く細かいところにまで神経の行き届いた、しかも抉りの効いた硬派の名演。無駄を削ぎ落とした繊細な響きなのに決して神経質にならない。実在感が凄く、真面目。
マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 36'54"
 悪魔がニッと笑ったような、マゼールの顔が目に浮かぶ演奏。「曲なんか何でもイイ。オレの演奏を聴け!」って感じ。面白いし、ツボにはまった部分は凄い演奏だが、虚仮威しの感じもする。使用楽譜に問題有り。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 34'52"
 繊細な心を持ったマッチョマン。曲の凄みを実感させる名演。『夕立と雷鳴』部分の迫力は最高だし、第九・アダージョ先取り部分のトロンボーンの翳りのある表情も特筆もの。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 34'50"
 オケのうまさが気持ちイイ。どんなに大きな音になっても響きの交通整理が出来ている。もちろん弱音部だって、低弦でさえハッキリ物を言う。ただしマーラー語になってはいない。独特の“いびつ”な響きにこだわりが無いのだ。たとえばスルタストとポンティチェロの音色差とか。
 コーダでトランペットとホルンがずれるのが微笑ましい。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 32'21"
 全ての音に余裕があり、実に冴えてクリアな響き。マーラー・サウンドは見事に飛び出す。オケがうまくて美しい。羽目を外さない良さが前半で生き、後半でやや物足りない。旧配置
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 33'36"
 5小節目の Nicht eilen で聴くものをぐっと集中させ、センスのよい響きと強い意志で期待を抱かせるが、展開部前半がやや平凡。再現部以降、また盛り返す。ソロ・トロンボーンは今一。旧配置
サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 31'38"
 美しいがどこかよそよそしい前半が惜しい。再現部の少し前あたりからヒートアップし、音楽する喜びが伝わってくる。終結の猛烈なアッチェレランドは圧巻。しかもホルンがくっきり凄い! 旧配置

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第2楽章

 「不思議の国のアリス」のように小さくなって、花咲く牧場へ行ってみよう。花達のお喋りが聞こえてくる。それは、真理の語りかけのようにも聞こえるし、誘惑のようにも、脅迫のようにも、無駄話のようにも、単なる風の音にも聞こえる。
 この曲は、優しく甘美な歌の部分(甘美主題)と、憂愁を感じさせる冷たい風のような部分(憂愁部分)とからなるが、一分の隙もないようなオーケストレイションが愉しく美しい。
 特にコーダ直前、ヴァイオリンの細かく落ち着かない動きにのって、オーボエとホルンが歌う部分(夕暮れ部分)は、こまやかでデリケートな情感が夕暮れのように儚く寂しい。
 聞き流すと気軽な間奏曲みたいだが、じっと耳を澄ますと実に味わい深い。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 10'04"
 最初のオーボエこそ実にエスプレッシーヴォだが、オケが雑というか全然理解していないというか・・・。
・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 10'19"
 平凡。真面目で丁寧なのは分かるけど、表現が中途半端。(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 9'40"
 テンポも響きも実に素朴な演奏。201小節でハープが飛び出す。最後はフラジオレットにならず。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 10'29" LD
 魅力満点。3回目の甘美主題から最後までは絶妙なアゴーギクがデリケートなニュアンスを醸す。
メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 10'21"
 音楽性も響きも過不足無く、一応許せる演奏。3回目の甘美主題で、ホルンの音揺れが惜しい。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 10'39"
 力のこもった感情移入は良いのだが、デリカシーが無いのがいただけないし、如何せん音が汚い。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 9'48"
 文句無くうまいけど、陰りがあってもイイんじゃない。からっと晴れた昼間から朝靄に戻るよう。
レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 9'18"
 一見あっさり。良く聴くと仕掛けいっぱいで味わい深い。例えば32小節などトランペットまで歌うし、112小節のソロ・ヴァイオリンのテンポなど。
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 10'01"
 スコアの音符のみを信じた、如何にも絶対音楽的な甘くない演奏。しかし滋味溢れる名演。
・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 11'42"
 微に入り細を穿った演奏だが、美しさが部分的に留まっている。149小節のヴァイオリンが落ちる。
・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 10'46"
 せっかくの細かい表情付けがカロリーオーバーな響きのため、あまり生きてない。チャーミングな感じが皆無。デリカシー不足。聴いていてあまり愉しくない。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 10'05"
 悪いところなんか有りはしない。でも特筆するような良いところもない。つまり平凡。なぜか? 消去法的演奏だからだ。どこにも何のこだわりもないってこと。
 174小節(5'57"くらい)のタンブリンのトリルが短い。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 10'41"
 神経質なくらい繊細で美しい。やや人為的なところが『マーラーらしい』と言えなくもない。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 10'21"
 鋭い音彩感覚。粋でお洒落。夕暮れ部分の情感もこまやか。
サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 9'56"
 サラリとして美しい。自然な音楽が快いが意味深さが今一つ。

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第3楽章

 『ヘンゼルとグレーテル』のように、木霊漂う森へ行ってみよう。鳥や獣が歌って踊り、お喋りも聞こえてくる。その訴えかけるものは、マーラー特有のイロニーを含んだ、天上への憧憬を含みながらの愉しき現実の謳歌だ。

 小鳥たちが様子を窺いながら囀りはじめると、少しづつ森の獣たちが動きだし、おふざけダンスが始まる。それぞれのお喋りも勝手気ままだし、奇声を発しながらの踊りも好き勝手。
 その無秩序の謳歌を制するようにトランペットが合図を示す-『秩序あることも素敵だ』と。実は秩序とは天上界のことで、その素晴らしさがポストホルンによって清らかに美しく語られるのだ(中間部)。
 すぐに反省するお調子者(285小節からのフルート)が浮かれてスキップしたり、真面目に賛同するもの(ホルン二重奏)も現れるが、愉しき現世とのあまりの違いに一同ざわつく。それを制して、もう一度天上界の素晴らしさが語られるが、話の終わりを告げる大太鼓が4つ鳴ると警告のトランペットで無秩序の謳歌に戻る。
 どちらが真実なのかどちらが愉しいのか、喧々囂々侃々諤々の議論となる。全く陽気で粗っぽく、いい気になって大騒ぎだ。
 もう一度トランペットの合図に導かれ中間部が再現(同じ2拍子系の6/8拍子だが、今度は割りきれない複雑なリズムが混じる)されるが、ポストホルンに応える8部に分れたヴァイオリンは、あまりにけがれなく繊細で美しい(無垢美部分)。
 ホルン二重奏が寄り添うと、選択を促す大太鼓が4つなり、ざわめきのコーダにつながる。
 ハープの上昇グリッサンドで築かれた頂点は急速にディミヌエンドされ、今度はハープの下降音型を伴いトロンボーンとホルンによって天上界への憧れが痛切に示される(DではなくDesだ!)が、これは第4交響曲の第3楽章につながる。最後は、木製のハンマー(Holzschla¨gel)で叩かれるティンパニやミュート付きホルンの奇妙な音から大音響になり、さらにティンパニの強打(trocken)に扇動され動揺の渦に巻き込まれて終わる。

 天上界でなく人間界と置き換えるべきかもしれないし、又は動物界を人間界と置き換えるべきかもしれないが、マーラー独特の少しニヒルなイロニーには違いあるまい。それ程の内容はないとしても、なぜかもの哀しくも懐かしい感じのする不思議なメルヘン。
 感情の起伏はパステルカラーでも、音楽的色彩は極彩色と墨絵の世界をもつ愉しいマーラースケルツォといえよう。
 なお、この曲はヴァイオリンが左右両翼に分れ、低弦が左に寄った旧配置の方がぐっと面白く響く。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 17'54"
 解釈も中途半端で、オケの仕上げも今一つ。この曲の美しさも面白さも迫力も物足りない。どうしちゃったんでしょう。478小節のオーボエ遅れる。
・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 16'50"
 第2楽章と同じく平凡。踏ん切りの悪い解釈だ。マーラーらしい耳障りな部分は中和・無毒化しているくせに、中間部再現前のCl、Obのリズムを後に詰めるが耳障りだ。
 450,451小節のトランペットの音が違う。(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 16'58"
 交響詩的、文学的なものを一切廃した名演。各パートが生き生きと飛び出してくる。薄っぺらな、表面的なものの一切無い真実の美演。実に味わい深い。あの『無垢美部分』の美しさ!
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 16'56" LD
 2拍子なのにウィンナ・リズムを刻むオーボエや、粗っぽい(grob)ホルンなど、各奏者とも勝手なようで実は統率されている。作曲家、指揮者、演奏者が見事に一体化した魅力溢れる名演。アンサンブルは今一なのに!
メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 16'40"
 ちょっと艶めかしい音楽で好演だが、もう一つ思い切りの良さが欲しい。大太鼓4つは良く聞こえるし『天上界への憧憬』部分も美しいが、中間部のヴァイオリンのヴィヴラートが大きいなど、少しお下品。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 18'52"
 展開部の響きがごちゃごちゃして汚く、うるさい。無秩序が良く表現されている(これは皮肉)。ポスト・ホルンは表情豊か。『天上界への憧憬』のハープもくっきりで、ホルンもまずまず。
ゲッ!161小節でトランペット飛び出す。
・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 16'50"
 余計な感情移入を廃した繊細な表現だが、曲に対する愛情不足の感は否めない。コーダの上昇ハープとか、楽器の音を強く感じさせ非音楽的な部分が多い。『無垢美部分』のヴァイオリンのアウフタクトがボウイングミスで震える。
レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 16'52"
 美しく抉りの効いた部分もあるが、やや平凡。ポスト・ホルンはミュート付きトランペットだろうが、あの音色では突然漫画みたいだ(演奏自体は物凄くうまい)。狙ったとすれば凄い皮肉だが…。コーダ540小節でワザをみせるが、あまりいきてない。
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 19'34"
 しっかり計算された、妙に繊細ぶらない実直な名演。理性的だが、表現がふっ切れているため聴きごたえ充分。コーダの響きはほぼ理想的と言えるだろう。
・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 18'29"
 平凡。とても本気で振っているとは思えない感じだが、最後の16小節(trocken Timp.の所から)だけは尋常ならざる迫力。ここも、ニヤリと笑うマゼールの顔が目に浮かぶ。450,451小節のトランペットの音が違う。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 18'32"
 細部まで血の通った、抉りの効いた解釈が見事に表現される。美しく、力強く、スケールも大きい。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 17'54"
 相変わらず響きは美しい。でもそれが生かされているとは思えない。「それで?」とか「だから?」という疑問がふつふつと湧いてくる。ポストホルンは最美の演奏かもしれない。
 219小節の2拍目(5'03"くらい)に小太鼓が入って驚く。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 18'21"
 ゴージャスで、しかも繊細な響き。さらに曲想により種々の微妙なテンポをとるなど、うならせる。バランスも良く迫力もありうまいが、コーダでハープの下降音型を掻き回すなど共感不足がにおう。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 16'52"
 ほぼ理想的な演奏。細かいところまで神経の行き届いた解釈が、オケの一人ひとりにまで咀嚼されている。思い切りもいい。248小節でテンポを落すタイミングなども見事。愉しい。
サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 16'33"
 まず、音楽が生き生きしているのがイイ。『天上界への憧憬』部分の美しさはいかばかりだろう。しかし、無秩序部分まで美しく心地よいので、やや単調に聞こえるかも。良くも悪くも上品。


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第4楽章

 第1楽章・冒頭『夏のテーマ』の後の低い蠢きから始まる第4楽章は、音のクラスターが浮遊し、最後まで神秘的な雰囲気で覆われている。それは宗教を越えた神の存在を匂わすようにも聴ける。

 アルト独唱により「深い真夜中は何を語るのか?」と歌われた後、引き延すように上昇するオーボエの音型は、全部で5回登場するが<自然音>を表し意味深長だ。なぜなら、神の存在を象徴するようにも聞こえるからだ。(2回目はコール・アングレ)
 2回目の<自然音>の後目覚め、「昼が考えていたよりも深い」と歌われるが、それに続くヴァイオリンとホルンが奏するのは、第1楽章・第1主題『永遠の大地』との類似性が高い。ここは一瞬光が差し込むかのような明るさを見るが、あまりに控えめで儚い夢のようだ(仮称:夢部分)。そして3回目の<自然音>により、ふたたび深く沈み込む。
 4回目の<自然音>は「苦悩は深い」に挟まれるが、すぐに「快楽は心痛よりいっそう深い」へと続く。
 「苦悩は言う、消え去れと」の部分からは「永遠の大地類似主題」が鳴っている。そして夢部分が再現される時、今度は「だがしかしどんな快楽も永遠を要求する!」と言う歌詞が付き、「永遠に」とともに冒頭の雰囲気に変わっていく。5回目の<自然音>が鳴ると、もとのように深く深く沈んでゆく。

 次の第5楽章とともに、第6楽章への前奏と考えることもできる。
 なお、この曲は特にホルン殺しとも言えそうで、5回目の<自然音>前後の1,3番ホルンによるユニゾンなど、音程の問題、ブレスの問題をどう解決するかといった渋い名人芸も堪能できる。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 8'48"
S:マーサ・リプトン 
 平凡。表面的にも、内面的にも突っ込みが足りない解釈。歌も平凡。
・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 8'45"
 特別に指摘するような悪いところはない。内声も効いているし決して表面的というわけでもない。しかし、響きのバランスや表情の作り方が、かどが取れ過ぎていてマーラーらしい魅力に欠けているのだ。歌も平凡。鼻にかかったような声でいただけない。(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 9'20"
A:マジョリー・トーマス 
 わざわざ神秘的にやろうとしなくても神秘的になるよという名演。強い意志の通った楷書的解釈。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 9'59" LD
A:クリスタ・ルートヴィヒ
 細かい表情が、弦とオーボエ、ホルンによるウィーンの魅力でヴェールをかけられて神秘的な雰囲気に包まれた、見事な陶酔の歌。ルートヴィヒも既に完成された歌唱を聴かせる。これで録音が良ければ…。
メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 9'37"
Cont:マウリーン・フォレスター 
 有機的な解釈が表面的。勘違いしてる? フォレスターは深い感情移入で歌い、うまいとは思うが現実的で神秘感が無い。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 9'51"
Cont:オルトルン・ヴェンケル 
 部分的に聴かせる解釈はあるものの、全体的には何か勘違いしてない? 夢部分などホルンとヴァイオリンのバランスが反対だし、ソロ楽器とヴェンケルは強く歌いすぎ。
・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 9'48"
Ms:ヘルガ・デルネシュ
 わざわざ神秘的にやらなかったら、やっぱり神秘的にならなかった。5回目の<自然音>の前のメロディーなどわざと崩して書かれたリズムもくっきりわかる。ホルンはうまい!
レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 9'37"
A:ラトヴィカ・ラッペ 
 この曲のあるがままの姿。<自然音>はポルタメント付き。夢部分も演奏者の意志が強すぎず自然に美しい。
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 10'51"
Cont:グヴェンドリン・キルレブルー
 くぐもった声で喋るように歌うキルレブルーをサポートしながらの、見事な情景描写!
・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 9'22"
Ms:アグネス・バルツァ 
 夢部分など魅力的なヴァイオリンのヴィヴラートが結構美しいのに、何だか軽い演奏。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 9'30"
A:クリスタ・ルートヴィヒ
 ほとんど文句のつけ所が無い。ウィーン・フィルとの解釈を整理して完成させたよう。ルートヴィヒの歌も美しい。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 9'44"
 弱く小さな音が無感動に流れていく。美しい響きが音楽として生かされていない。消去法的演奏の典型。ネスの歌も同様。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 11'04"
A:ハンナ・シュヴァルツ
 微に入り細を穿った解釈が成功した。こういうタイプの曲からでも純音楽美が表出されるのが凄い。シュヴァルツもヴィヴラートの制御が行き届いた演技が最高にうまい。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 9'23"
Cont:ビルギット・レンマート 
 <自然音>はポルタメント付きだが、レークナーほど意味深くならない。しかし、爽やかなのにコクのある美しい音楽。レンマートはやや軽い声でラトルの音楽性とぴったり一致。
サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 8'34" 
Cont:アンナ・ラーセン
 冷ややかで透明な音色と、度を過ぎない感情移入が神秘的雰囲気を醸す。ラーセンは雰囲気を壊さずしゃべるように歌う。

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第5楽章

 深い深い夜のしじまに沈み込んで第4楽章が終わると、アタッカで第5楽章が始まる。明るい鐘の音でキラキラと輝く朝陽のように。
 この楽章はヴァイオリンが省かれているが、アルト独唱に少年合唱と女声合唱が加わる。
歌詞の内容はペトロの免罪と、神のみを信ずることによって救われるというもの。ここで言う神とは、イエスの名を出しているとはいえ、宗教を越えた全てを統べている神と考えても良いんではないだろうか。

 アルト独唱が入る前まで(34小節)を1部アルト独唱が入る部分を2部、そしてその後73小節以降を3部と分けて考えることができる。軽い曲だが、マーラー得意の実に立体的なオーケストレイションが施されている。例えば2部の後半などホルンは、普通のオープン奏法に、ゲシュトプフと弱音器の使用、そしてオープンとゲシュトプフで同時にffを響かせる。さらには楽器間でクレッシェンド・ディミヌエンドをずらして絶妙な響きが創造される。
 1部の22小節アウフタクトから「主イエスが食卓につき」と歌うところのトランペットは注意深く聴かねばならないし、2部の最初、35小節からのチェロもpとはいえアルト独唱を導くために重要だ。
 女声合唱と少年合唱の声質もハッキリ違わねばいけなかろう。
 最後は中空にの音が彷徨い、雲散霧消する。実に愉しいが、浄福への期待が込められた幻のような楽章。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 4'08"
S:マーサ・リプトン、トランス・フィギュレーション教会少年合唱団、スコラ・カントラルム女声合唱団
 愉しいけれど、合唱もオーケストラも何となくバラバラしている。天国というより、日常みたい。と言うことは・・・。
イティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 4'05"
 全然楽しくない。オンザロックの氷が溶けてしまったウヰスキーみたい。(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 
A:マジョリー・トーマス、テルツ少年合唱団、バイエルン放送女声合唱団
 スコア通り音化することと、曲の表現内容が一致した一見アッサリの超名演。22小節のトランペットなど理想的!
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 4'08" LD
A:クリスタ・ルートヴィヒ、ウィーン少年合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団
 物凄く濃厚な表情付けがイイ。2部冒頭のチェロや3部冒頭のホルンとチェロなどむせそうなくらいだ。トランペット(22小節)の前の女声のディミヌエンドが綺麗。
メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 
Cont:マウリーン・フォレスター、カリフォルニア少年合唱団、ロサンゼルス・マスタ・コラールのメンバー
 表情が実に積極的。2部後半にやや物足りない部分があるとはいえ、曲を良く理解している感じ。
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 4'18"
Cont:オルトン・ヴェンケル、サウスエンド少年合唱団、ロンドン・フィルハーモニー女声合唱団
 2部のテンポ変化を伴う「泣き」の表現は間違いではないと思うが、1部と3部はダメ。曲を理解していない。22小節のトランペットも、101小節のトロンボーンも無意味に響く。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 
Ms:ヘルガ・デルネシュ、グレン・エリン少年合唱団、シカゴ交響女声合唱団
 ハイ、スコアにはそのように書いてあります! でも22小節のトランペットにfと書いてあることの意味は? 2部後半が迫力不足に響くのはどうしてだ?
・レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 4'10"
A:ラトヴィカ・ラッペ、ベルリン放送少年少女合唱団、ベルリン放送女声合唱団
 美しくしなやかな演奏だが、レークナーとしては平凡。
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 4'03"
Cont:グヴェンドリン・キルレブルー、ボン・コレギウム・ヨゼフィヌム少年合唱団、
バイエルン放送及び西部ドイツ放送女声合唱団
 キルレブルーのこもった声がイヤだがこれは好みの問題。ほとんど文句のつけ所が無い。強いて言えば、真面目すぎるか。
マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 4'22"
Ms:アグネス・バルツァ、ウィーン少年合唱団、ウィーン国立歌劇場女声合唱団
 
テンポが遅くても重たくならないのは流石だし、74小節のトロンボーンのffをしっかり響かせたのは、一人マゼールだけだ。少年合唱の声が大人びていて、女声との区別がつきにくいのが残念。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 4'07"
Ms:クリスタ・ルートヴィッヒ、ブルックリン少年合唱団、ニューヨーク・コラール・アーティスト
 全然スコアの指示と違った強弱をきかせるが、曲に対する愛と自信に満ちた演奏。少年合唱はツバキが飛びそうなくらいビムバム言う。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 4'18"
 優れた演奏で聴くとあんなに色彩豊かで愉しい曲なのに…。pに隠されたfが、fの中のffが、音符一つ一につけられたクレッシェンドやアクセントやテヌートが見えないのだろうか。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 
A:ハンナ・シュヴァルツ、ニュー・ロンドン少年合唱団、フィルハーモニア女声合唱団
 響きが美しく、繊細な表現も神経質にならず上手い。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 3'57"
Cont:ビルギット・レンマート、バーミンガム市交響楽団ユース・コーラス、バーミンガム市交響楽団合唱団(女声)
 実に爽やかで美しく愉しい演奏。4分音符一つ、2分音符一つ取っても曖昧な処理はなく、意味が分って演奏している。
・サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 3'50"
Cont:アンナ・ラーセン、カリフォルニア・ポーリスト少年聖歌隊、ロサンゼルス・マスタ・コラール女声
 美しい響きでサラサラ流れていく。悪くはないが、面白みが足りない。

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第6楽章

  幻のような第5楽章に続くこの第6楽章は、マーラーが残した唯一の浄福の、涅槃の音楽かもしれない。ブルックナー的音楽。しかし常に真摯だとはいえ、時々虚無感が漂う。そのせいか美しさの中に、哀しさとは違った、感情が抑えられた儚さのようなものが滲み出ている。そして、最後はティンパニの抑制の効いた深みのある強打とともにニ長調が堂々と響き渡リ、悲観の入り込む余地は排除される。

 彼方に至福の山を望む広大な湖が、静謐の中に波一つなく横たわるように「愛のテーマ」がゆったりと響き創める。充実した静かな感情。音量は小さいが、愛の存在を確信する強い音楽だ。
 やがて過去を回想するかのような、やや憂いを帯びた懐かしい「回想のテーマ」が密やかなヴァイオリンにより導かれる。シンコペイションのリズムと「愛のテーマ」を従えて進むと、ホルンとヴァイオリンにより気持ちが高揚しかかるが、ホルンとチェロの持続する音により静められる。そして、落ち着いて新しいテーマが始まる(92小節〜)が、これは「愛のテーマ」の変形したものだ。チェロのメロディーが知らないうちにヴィオラに切り替わるところ(96小節)など、絶妙な味わい。
 その後木管を加わえ、Vnがはっきりと「愛のテーマ」を再現する(108小節)。112小節から116小節のヴァイオリンなど強い存在感を示さねばならないが、決して感情に溺れてはいけない。
 ホルンが、クラリネットに支えられながら「回想のテーマ」をやや哀しく再現すると、ソロ・ヴァイオリン、オーボエ、フルートが同調する。

 すると、我慢しきれないかのようにオーボエ、クラリネット、ホルンにより「現世執着のテーマ」が、慟哭のようなシンコペと「愛のテーマ」のデフォルメのような1st.ヴァイオリンの切々と細かいディナーミク変化を伴って歌われる。その後、2nd.ヴァイオリンとチェロで奏される時はそのテーマ自体にシンコペーションのリズムが加わり、さらに切ない。
 三度「回想のテーマ」が登場するとヴァイオリンが激情的に動き出すが、満ち引きを繰り返すうちに浄化されて行きクライマックスを迎える。第1楽章の「大自然のテーマ」であり、ブルックナー「第七」のアダージョだ。果たして、死と共に天上へ、涅槃へ迎えられるのか?
 その後、自作第九交響曲のアダージョでも見られる弦の同音アタックでいったん静まる。

 続いて響いてくるのは「愛のテーマ」が全てを吸収したようなもので「愛の存在のテーマ」とでも呼ぼう。かすかに、しかし実に力強く歌われるこのテーマには、ブルックナー「第八」のアダージョにつながる5連符の回転音型が含まれる。これが次第に楽器を増し、大きさ・強さを増すと、第1楽章コーダのフレーズが現れる。牧神の夏から宇宙への移行、否、牧神の夏とは宇宙そのものだったのだと思わせる。
 フルートによるブルックナー的モノローグと、ヴァイオリンのトレモロの下に響く低弦のピツィカートは、まさに宇宙的。

 そこに優しく差し込む光は、なんて感動的。天上の、涅槃の光が実に清らかに差し込むのだ。幻ではない天上界。なんて美しいトランペット。
 最後は堂々たるニ長調の響きが、粗っぽくならずに気品ある音で満ち溢れる。
 宇宙から生まれたものは、宇宙へ帰るのだ。この自然賛歌の大交響曲は、感情というちっぽけなものを超えた大いなる生命の存在を謳歌して終わる。

 それにしても、この曲こそ旧配置で演奏すべきだと思う。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1961> 25'06"
 愛情のこもった丁寧な演奏。まるで、進むのがイヤなように1フレーズ否、1小節ごとにリタルダンドを繰り返す。しかし表情の振幅はそれ程大きくはない。
イティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団<1966> 22'05"
 とても“日常的”な演奏。オケの技術的に拙い演奏が手作り風味を醸し、何も起こらない日常の幸せが紡がれていく。各パートの心遣いが優しく感じられるが、それがあくまでも平穏な日常世界なのだ。「天国からの光」ともいえる252小節からですら!(2004年6月)
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1967> 21'58"
 楷書的、男性的名演。実に内声が生きた骨太の演奏。無駄なディナーミク、アゴーギクは一切ない。曲の意味を良く理解すれば、最後のティンパニは決して小さくはない。
バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1972> 27'30" LD
 理解の仕方は違っているかもしれないが、それを遥かに超えた曲への深い愛情にうたれる。物凄く濃い表情付けもくどくはならない。ウィーンフィルの魅力いっぱい。
・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1978> 23'16"
 最初からたっぷり歌う。ppp、否、ppもない。力強い音の暴力に辟易する部分すらある。終結のティンパニ連打が、なぜf1個なのかも理解していない。BGMにしたらいいかも。99小節に変な音有り。 
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1979> 20'43"
 騒がしいわけではないが、落ち着いた静けさがない。92小節からのテーマの人懐こい歌わせ方や、現世執着のテーマの演歌調の歌わせ方など、気持ちは分るが・・・。愛の存在のテーマなど、理解が間違っていると思う。それにしても、どうしてそんなに浄化されない響き? 33小節〜34小節のチェロにポルタメント。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1982> 20'44"
 めづらしくうなり声まで入る熱のいれよう。細かいアゴーギクも自然に流れる。大胆且つ繊細な表情付けが透明で美しい。入魂の名演! 贅沢を言えば、最後の大音響がもっとブルックナー的に響けば・・・。
・レークナー指揮 ベルリン放送管弦楽団<1983> 21'57"
 レークナー独特の美しさは見られるが、今一つ仕上不足。平凡。83小節でホルン、ミスる?
ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団<1985> 26'00"
 見通しが良く、確固とした浄福が存在する立派な名演。愛が力強く語るとは、この演奏を言う。
マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団<1985> 29'51"
 現世執着のテーマの弦など、しなやかで粘着力があり繊細! とにかく一貫して遅い! 最後の長い伸ばしは、カンニング・ブレスがバレバレでダメ。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1987> 28'01"
 ゆったり粛々と進む。3種バーンスタインの中では、曲自体に愛を語らせるという意味で最も正しい解釈と言えるかもしれない。
ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 <1990> 25'56"
 最大の欠点は音に力がないことか。物理的ダイナミックレンジの幅は広いが全て弱音だ。感じていないのにテンポだけ遅いのは退屈の極み。コーダの品の無い大音響はハイティンクの無理解を露呈している。(2004年6月)
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1994> 22'58"
 微に入り細を穿った、本当に壊れ物を扱うかのような繊細な表情付けが、ドロドロ濁らず美しい。理解と共感と表現が一致!
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1997> 22'22"
 知的に、深く理解された響きをラトルのセンス良い音楽性が見事に紡いでいく。最後、ティンパニ連打から(316小節)のテンポはやや速めだが、響きのバランス(楽器別の細かい指示)は、ほぼ理想的。
サロネン指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー交響楽団<1997> 23'15"
 脱力し熱い情熱を封印し、深く大きく静かな愛を表現した、とてつもなく美しい名演。どこの響きにも愛と美が存在する。終結部分のティンパニ連打には気品を感じ、終わり3小節にバス・ドラムが追加されると、あまりの深い響きに法悦すら感じる。最後の和音は後2秒くらい長く欲しかったが。

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