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交響曲第7番

第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章第5楽章

 芸術作品というものは、最終的に専門情報を持たない人たちによって評価されなければ、あまり意味がないと言えるかもしれない。いったい、この曲は名曲といえるのだろうか?

 全体を見るとスケルツォを挟んで対称形ということで良く纏まっているようだが、実際に聴いてみると重要楽章と思われる第1・5楽章の構成が非常につかみにくい。あまりに唐突な曲想の変化と頻繁な転調、しかも短調なのか長調なのかが非常に曖昧な場合が多い。はたして、ふざけているのか真面目なのか、皮肉っているのか本気なのか。まさに分裂症的作品。さらに自作のみならず、多くの作曲家からの引用(または影響)がツギハギのように連なる。気が付いただけでもバッハ、ワーグナー、リムスキー=コルサコフ、R.シュトラウス、ブルックナー、ドヴォルザークなどだ。これが理解のしにくさに追い討ちをかける。
 これらは何を意味するのか?
 意味なんかどうでもよい、その場その場での響きを愉しめば良いという音楽かもしれないが、それにしては長すぎる。そして意味がありそうに聞こえすぎる。

 スコアをながめながら、何回も繰り返し聴くと見えてくる。この曲は、マーラー自身の作曲当時の現実生活に空想を織りまぜた私小説で、作曲家としての真実(内容と作曲技法の一致)の追及があるような気がする。

 第1楽章から第3楽章までは、安住の地を求めての心(理性と情動)の旅といって良いかもしれない。そして家庭的平安の第4楽章を経て到達したところが、フィナーレというわけである。しかし、このフィナーレが難物だ。決して、戦いの末に勝ち得た幸福というようなものではないし、涅槃でも天上界でもない。
 とにかくこの7番は、理想を求めて苦悩を重ねそこに到達した幸せを表現する、といったものではないような気がする。現実の生活の中では、幸せの中にもいろいろな感情や思想が錯綜しているものだ。そうなると、このフィナーレは夜の音楽に対する単なる昼の音楽、といったほうがまだ近いのかもしれない。
 マーラーの『現実的な生活の肯定とその強引なくらいの賛美』が本質なのではなかろうか。自分で自分を強制的に賛美し、自己を肯定するのだ。やや自信喪失気味だがナルシスト。そして、これを引き継いだのがショスタコーヴィチだ。

 それにしても、見事な作曲技法。好き嫌いは別として、もっともマーラーらしい傑作と言えるだろう。ここから、自己主張が脱力するように消えていって、最高傑作『交響曲第9番』の『第1楽章』と『アダージョ』が生まれるのだ。

1999年4月

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第1楽章

 第6交響曲をもっと自然にした感じ、といってもマーラー自身の感情にとっての自然だから、随分分裂症的に聞こえる。つまり、マーラーが自分に素直に最高の技法で書いた曲ということ。

 ヴァイオリンと木管の伴奏による主部(テーマはフィナーレにつながる)は、『ワルキューレの騎行』を想起させるが、実に宇宙的スケールの大きさだ。そこから続くソロ・トランペットを伴奏する3連符は『英雄の生涯』を匂わす。ぎくしゃくしたリズム(このリズムはこの楽章を支配し続け、結局このリズムで終わる)で何回も中断されると第2主題が登場する。第2主題は優しく美しいが、この主題は、ハープのアルペジオにのって再登場する展開部が最高の聴きもの。さらに展開部では、この6小節前にブルックナーの交響曲第9番のアダージョが現れる(オーボエとクラリネット)のを聴きのがしてはなるまい。この前後はマーラーの、美しくも豊かな叙情性の勝利した部分だ。再現部の直前に叫ばれる1stヴァイオリンによるシンコペーションは後に第9交響曲の「いかづちリズム主題」となるが、第6交響曲の第1楽章にも存在したことを忘れてはならない。コーダは、ショスタコーヴィチを先取りした悲痛な強制的行進曲となる。

 マーラーの『英雄の生涯』といえるかも。聴き慣れると名曲に思えてくる。いや、名曲だ!

超名演

名演

佳演

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●駄演

録音年代順に並べました

クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<1968> 27'47"
 主部が異常に遅い一貫したテンポで巨大なスケールを生む。凄い! 第2主題は呆気にとられるほどあっさりだがツボは押さえている。旧配置。コーダ516小節でタンバリン落ちる。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1970> 19'42"
 無駄のない、一気呵成の汗みどろでない力演。第2主題の叙情も充分美しい。終結の決めは完璧!旧配置。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1970> 21'33"
 凸凹はデコボコのまま見事にスコア通り。これが第7交響曲の第1楽章です。ハープが右からで美しい。
・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1980> 22'42"
 共感はバーンスタイン、理解はブーレーズ、技術はシカゴ交響楽団の足元にも及ばない。平凡。
・マズア指揮 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団<1982> 19'40"
 あっさりした、冷たく固い感触。テノール・ホルンは随分軽くヴィブラート付き。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1985> 21'40"
 細部の処理があまく、聴きどころの第2主題も今一。共感に満ちた熱い悪魔的演奏ではあるが…。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1991> 22'06"
 過不足のない粋な音楽性が爽やかな名演。気軽に愉しく聴ける。旧配置ではない)*o*(。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1992> 24'36"
 金管の強奏がたまに無機的(無意味)になるのが惜しい。第2主題はまるで妖婦のようだ。旧配置。
ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団<1994> 23'25"
 曲の構成、オーケストレイションを完璧に理解していると思わせる整理された名演。美しい!


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第2楽章
NACHTMUSIK

 ホルンが淋しく呼びかけると、今、まさに日が落ちなんとする人里離れた山の麓の情景が示される。この部分と、コーダ前のホルンと木管の絡みは、自作第9交響曲の『アダージョ』や大地の歌の『告別』に引き継がれていくわけだが、うら寂しく、人恋しくも虚無的で、儚さ漂う美しさが実に魅力的だ。
 そして、夜の森の行進が始まるが、曲が進むにしたがってどんどん現実世界からメルヘンの世界に入っていく。魔女の出そうな雰囲気がだんだん色濃くなっていくが、決してふざけてはいない。『ヘンゼルとグレーテル』の世界のよう。ふり返りふり返り、魔法の世界に向かっていくが、ドラが鳴り響いて完全に魔界に入ったことが示されると、最後はハープとチェロのフラジオレットが残像すら消えたことを示す。
 アウト・ドアの夜曲。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<1968> 22'08"
 おそい? 否、これで良いのです。この曲の完ぺきな姿。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1970> 14'46"
 何気ないルバートが洒落たリズムを生み、無意味な音は一つもない。実に音楽的な名演。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1970> 15'45"
 よくも悪くも明快な演奏だが、音色が単調なのが惜しい。物の怪がハッキリものを言うんだよね。
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1980> 16'24"
 表現の幅の広く情感豊だが、時に響きがダンゴ。
・マズア指揮 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団<1982> 14'07"
すっきりした凡演。どこに良いところがあるんだ?
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1985> 17'02"
 あちこちから物の怪が飛びだしてくる。ふっ切れた演奏。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1991> 14'40"
 夜の森のゴキゲンな散策だ。副主題のアウフタクトをルバートするところなんざぁ、堂に入ってるねぇ。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1992> 17'04"
 最高にいい気持ちのホルンで始まる。しかし、響きが贅沢すぎて、やや肥満気味。
ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団<1994> 13'56"
 磨き抜かれた美音と、磨き抜かれた音楽性による真面目な演奏。


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第3楽章
SCHERZO

 これも夜曲と言っていいだろう。第2楽章と違って、最初からメルヘンの世界だ。デフォルメされた奇怪なワルツ。魑魅魍魎が跳梁跋扈するのは第6交響曲と同じだが、痛ましい暗さがないし、最初から愉しんでくれといっているのがいい。グロテスクで粗野なのに神経質、悪夢なのに出てくる幽霊は妙に愛想がいい。これらが見事に音化されている。細かい弦の動きは第9交響曲の第1楽章につながる(schattenhaft)。全編に木霊のように漂う寂寥感。交錯するニ短調とニ長調。戯画化された『地獄と天国』。
 好き嫌いは別として、マーラー・スケルツォの傑作。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<1968> 10'28"
 蠢く細胞が少しづつ集まり、巨大生物になった。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1970> 9'24"
 引締ったテンポの中に明滅する楽器群。低弦のウィンナ風リズムが不気味に生きる。天才的!
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1970> 9'18"
 柔軟なテンポに硬質なリズム。精巧な機械仕掛けの魑魅魍魎がくっきり隈取られる。
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1980> 10'14"
 いい雰囲気が出ている。153小節のヴァイオリンの突出度も聴きもの(2nd.ヴァイオリンのポルタメント!)
マズア指揮 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団<1982> 9'43"
 所々聴かせる部分はあるが(186小節のピチカートなど)、やや常識的で平凡。後半のってくる。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1985> 10'34"
 トリオの哀感(ニ長調なのに!)は流石だが、今一つふっ切れていない。(強烈なピチカートのあと402小節はアルコ)
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1991> 10'15"
 テンポ変化、強弱のバランスは勿論、あらゆるワザを使ったセンス満点の超名演。凄い!
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1992> 9'54"
 グラマラスな響きが気持ちいいけど、常識の壁を破って欲しい。この曲は非常識なのだ。
・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団<1994> 9'14"
 繊細且つ見事なバランスで美しいが、それだけの曲ではなかろう。(強烈なピチカートのあと402小節はアルコ)


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第4楽章
NACHTMUSIK

 例えば、夢から覚めたらそこは家族に囲まれた幸せな家庭。団欒のひととき。寂寥感の残る夜の音楽の中に、明るく落ち着いた感情が暖かく表現された室内楽的佳曲といえよう。ギターとマンドリンがオーケストラの中で見事に生かされる。
 突然現れるホルンとチェロによる、忍び寄る不安を払拭するような中間部の主題
(187小節〜)は、優しさの中に強さをも秘めている。実に包容力に満ちた愛情表現だ。
 『ジークフリート牧歌』や第4交響曲の名残が滲む、愉しいイン・ドアの夜曲。

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<1968> 15'42"
 各奏者の自発的音楽を有機的にまとめた、懐の深い滋味溢れる名演。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1970> 12'01"
 実在感のある音色で伴奏まで意志が通っている。情感タップリで誠実だが、堅苦しくはない。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1970> 14'31"
 清潔で健康的。朝の音楽みたい。も、もちろん、文句はありません。
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1980> 15'09"
 愛情に溢れた丁寧で暖かい、普通の演奏。
マズア指揮 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団<1982> 13'09"
 よけいな感情移入のない、室内学的書法を生かした愉しい演奏。
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1985> 14'42"
 中間部主題の再現後、情感は最高潮に達する。纏わりつくように愛撫するあのヴァイオリン! でもね・・・。
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1991> 12'19"
 チャーミング。中間部のホルンとチェロの主題は、優しさだけでなく窘めもある本当の強い愛だ。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1992> 17'35"
 微に入り細を穿った美演。まるで壊れ物を扱うような、なんてデリケートなオーボエ!
ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団<1994> 10'38"
 汚い音は一つもない。磨き抜かれた美しくも暖かい、まさに美音。でも、ちょっと速すぎない?


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第5楽章
ROND-FINALE

 又しても乱痴気騒ぎの始まりかと思わせるティンパニとホルンの乱舞だが、『現実と自己の強引な賛美』という意味において、この曲に相応しい冒頭といえよう。
 『マイスタージンガー』風の、堂々として祝祭的雰囲気を湛えたロンド主題に『メリーウィドウ』に似たお茶目な主題、バッハ風の細かい動きの偉ぶった主題
(87小節〜)平静を装う主題(100小節〜)などが加わり、見事なポリフォニーが展開される。
 終結近く
(ホルンのゲシュトプフによる『キラキラ星』の後)では、ロンド主題がせっかくニ長調で奏されるのに、第1楽章の主要主題がホルンによりニ短調で割り込む。しかも、これは調を変えて4回もでしゃばる。しかし、この曲の主調であるハ長調に平静を装う主題を経ると、喜びに満ちたロンド主題が戻ってくる。そして、そのまま第1楽章の主要主題も取り込まれ、最後はなんとかハ長調のまま壮麗に聳え立つのである。
 こうして、この長大な傑作は強引に現実肯定、自己肯定の賛歌を叫び、締め括られる。この時、カウベルや鐘まで乱打されるのは、人間だけでなく、動物や建物を含めた町
(地球)全体に、自分を讚えさせるというような意図を感じさせる。
 やや自信喪失気味のナルシスト、マーラーの圧倒的な自信作
(自慢作ではない!)

超名演

名演

佳演

並演

●駄演

録音年代順に並べました

クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団<1968> 24'15"
 超スローテンポの巨大な凄演。しかし、神経は行き届いているので細部までコクがある。
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団<1970> 16'40"
 頑固職人の手作りの味。ヴィルトゥオーゾ・オケではないのに、立派なものだ。トランペットにクセ有り。
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団<1970> 16'25"
 頑固職人の機械作りの味。元祖ヴィルトゥオーゾ・オケ。意味のうすい響きが散見されて惜しい。
テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団<1980> 17'54"
 情熱的な好演だが、響きが雑で空回りしている部分がある。(578小節で2nd.トランペットがミスる)
マズア指揮 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団<1982> 16'34"
 無理してデカイ音を出さない。聴き所はあるが地味であっさり。質素倹約で吝嗇。(12小節でトランペットがミスる)
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック<1985> 18'22"
 歓喜の爆発。特に終わり(ニ長調部分〜)は真骨頂を示す。終結でクレッシェンドするトランペットも決まる! (486小節のホルンはゲシュトプフ)
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団<1991> 17'49"
 指揮者の理解が100%オケに伝わった、熱い情熱と爽やかな音楽性の自在な名演。
シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団<1992> 18'17"
 華麗な美音!・・の浪費。豪華絢爛で贅沢。(終結1小節前のピッコロがちゃんと聞こえる)
ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団<1994> 17'40"
 歓喜も悲哀も狂気も絶叫もない。強引な部分など無いぞ! 管弦楽法の勝利。美しい! ・・・でもね。
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