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年代

年齢

マーラーの生涯

1860

0歳
●7月7日、グスタフ・マーラー、ユダヤ人商人ベルンハルト・マーラーとその妻マリーを父母としてボヘミアのカリシュトに生まれる。
●一家はモラヴィアのイーグラウに移住(10月)

1861

1歳
●弟エルンスト誕生(4月13日)

1865

5歳
●妹レオポルディーネ誕生(5月18日)
●この頃から音楽のレッスンを始める。

1868

8歳
●妹ユスティーネ誕生(12月15日)

1869

9歳
●イーグラウのギムナジウムに入学。

1870

10歳
●イーグラウで初めてのピアノ・リサイタル(10月13日)

1872

12歳
●ギムナジウムの式典ホールでピアノを弾く(11月)

1873

13歳
●オーストリア皇女の結婚式でピアノを演奏(4月)
●弟オットー誕生(6月18日)

1875

15歳
●弟エルンスト没(4月13日)
●ウィーン音楽院に入学(9月10日)。フーゴー・ヴォルフと知りあう。
●J.エプシュタイン(ピアノ)、R.フックス(和声学)、F.クレン(対位法と作曲)、A.プロスニッツ(音楽史)に学ぶ。

1876

16歳
●『ピアノ四重奏曲イ短調』の第1楽章を作曲。
●音楽院で、ピアノ演奏と作曲(「ピアノ五重奏曲」第1楽章)で一等賞を得る。
●イーグラウで自作(『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』)を携えた慈善コンサート(9月)

1877

17歳
●フーゴー・ヴォルフとともに「ヴァーグナー協会」の会員になる。
●ウィーンでリスト最後の演奏会とヴァーグナー指揮による最後の上演(「ローエングリン」)を聴く(3月)
●ブルックナー(和声学)、ハンスリック(芸術史)の講義を聞く。
●ブルックナー『交響曲第3番』初演を聴く(12月)

1878

18歳
●『ピアノ五重奏曲』で作曲賞を得て、音楽院を卒業(7月2日)
●イグラウで大学入学資格を得てウィーン大学で学ぶ。ブルックナーのもとで和声法、対位法の講義を受ける。
●夏に、ブルックナーの『交響曲第3番』を四手ピアノ用に編曲。
●『アルゴ船の人々』序曲が、ベートーヴェン賞に落選。

1879

19歳
●ハンガリーのバウムガルテン家で音楽の家庭教師をする(6-7月)
●童話オペラ「リューベツァール」に着手。

1880

20歳
●ジョゼフィーヌ・ポアスルのために三つの歌曲を作曲。
●バート・ハルの劇場でオペレッタを指揮(5-7月)
●『嘆きの歌』完成(10月)

1881

21歳
●ライバッハ(リュブリャナ)の州立歌劇場で首席指揮者に就任(9月3日)
●『嘆きの歌』ベートーヴェン賞に落選(12月)

1882

22歳
●『北欧交響曲』完成。後に破棄。

1883

23歳
●オルミュッツ(モラヴィア)の市立歌劇場の指揮者に就任(1月10日)
●夏に初めてバイロイトを訪問し『パルシファル』を観る。
●カッセル王立歌劇場にデビュー(8月21日)
●正式に王室音楽家兼合唱指揮者となる(10月)

1885

25歳
●『さすらう若人の歌』完成(1月)
●カッセルの劇場の幹部と衝突を繰り返し、劇場を去る(4月)
●プラハのドイツ劇場の首席指揮者に就任する(8月1日)

1886

26歳
●3つの歌曲『春の朝』『朝の野辺を歩けば』『ハンスとグレーて』の初演を携えた慈善コンサートを指揮する。
●ライプツィヒ市立歌劇場の指揮者に任命され、ニキシュの助手となる(8月1日)

1887

27歳
●ウェーバーの未完のオペラ『三人のピント』を完成(10月)
●R.シュトラウスと初めて会う。
●秋に、アルニムとブレンターノの詩歌集『子供の魔法の角笛』を発見。

1888

28歳
●カール・フォン・ヴェーバーの妻マリオンと恋仲になる。
●『子供の魔法の角笛』の最初の数曲を作曲。
●チャイコフスキーに会う。
●『交響曲第1番』完成(3月)
●ライプツィヒの地位を辞める(5月)
●『葬礼』に取り組む。
●ブダペストの王立歌劇場音楽監督に就任(10月1日)

1889

29歳
●父ベルンハルト没(2月18日)
●夏、ミュンヘンで痔の手術を受ける。
●妹レオポルディーネ没(9月27日)
●母マリー没(10月11日)
●室内楽の夕べで、三つの歌曲『春の朝』『思い出』『別離と忌避』の初演(11月)
●『交響詩』(『後の『交響曲第1番』)をブダペストで初演(11月20日)

1890

30歳
●ピアノ伴奏の『子供の魔法の角笛』の二つの歌曲集を完成。

1891

31歳
●ブダペストの王立歌劇場音楽監督辞任(3月14日)
●ハンブルク市立歌劇場の首席指揮者に就任(3月26日)
●リューベックのコンサートで『葬礼』を弾くが、ビューローは露骨に拒否(11月)

1892

32歳
●ピアノ伴奏の三つの歌曲集(「若き日の歌」)を出版(2月)
●ピアノ伴奏の『子供の魔法の角笛』(「外へ、外へ」「もう会えない」)の初演(4月29日)
●ビューローにかわり予約演奏会を指揮。
●『子供の魔法の角笛』から「番兵の夜の歌」「無駄な骨折り」をベルリンで初演(12月)

1893

33歳
●『交響曲第1番』改訂(1月)
●『さすらう若人の歌』のオーケストレーション(2月)
●ブルックナーの『ミサ曲第1番』(世界初演)と『テ・デウム』を指揮(5月31日)
●オーケストラ伴奏の『子供の魔法の角笛』の4曲と、『交響曲第2番』の二つの楽章を作曲。
●バート・イシュルのブラームスを訪ねる(7月)
●『巨人』(後の『交響曲第1番』)を指揮(10月)

1894

34歳
●ビューローの葬儀で『復活』のコラールを聴き『交響曲第2番』の着想を得る(3月)
●ヴァイマールの「全ドイツ音楽協会」で『巨人』を指揮するが不評(5-6月)
●『交響曲第2番』終楽章の最終稿を完成(12月18日)
●シューベルトの『死と乙女』を弦楽合奏用に編曲。
●ブルーノ・ワルターと知りあう。

1895

35歳
●弟オットー自殺(2月6日)
●ベルリンで『交響曲第2番』(不完全な形)の初演を指揮(3月)
●夏にユスティーネとナターリエをつれてシュタインバッハに滞在。
●『交響曲第3番』に着手。
●バート・イシュルのブラームスを訪ねる(7月)
●ベルリンで『交響曲第2番』の全曲初演を指揮(12月)

1896

36歳
●ベルリンで『巨人』『さすらう若人の歌』『葬礼』を指揮(3月)
●『交響曲第3番』第2楽章のオーケストレーション完成(4月)
●夏をシュタインバッハで過ごし、『子供の魔法の角笛』の「高い知性への賛美」と『交響曲第3番』第1楽章を作曲。
●バイロイトで『ニーベルングの指環』全曲を観る(8月)

1897

37歳
●『交響曲第2番』出版(2月)
●ユダヤ教からローマ・カトリック教会に改宗する(2月23日)
●ウィーン宮廷歌劇場芸術監督に就任(4月8日)
●宮廷歌劇場デビューは『ローエングリン』を指揮し大成功に終わる(5月11日)
●『さすらう若人の歌』出版(12月)

1898

38歳
●プラハで『交響曲第1番』を指揮(3月)
●痔の手術。
●夏に『子供の魔法の角笛』の2曲を完成。
●ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任(9月24日)

1899

39歳
●『交響曲第1番』出版。
●リエージェ(1月)とフランクフルト(3月)で『交響曲第2番』『第1番』を指揮。
●夏に『子供の魔法の角笛』の『死んだ鼓手』を作曲、『交響曲第4番』にも着手。
●『ニュルンベルクのマイスタージンガー』全曲のウィーン初演を指揮(11月26日)
●『嘆きの歌』(改訂版)完成。

1900

40歳
●マーラーに対するユダヤ人排斥キャンペーン(1月)
●ハンス・リヒター歌劇場を去る(2月)
●『子供の魔法の角笛』出版(3月)
●ウィーン・フィルとパリ万博に同行(6月)
●『交響曲第4番』完成(8月)
●ミュンヘンで『交響曲第2番』を指揮、大成功(10月)

1901

41歳
●ウィーンで『嘆きの歌』初演(2月)
●大出血のため手術(痔)を受ける(3月)
●ウィーン・フィルを辞任。
●夏、マイアーニッヒの掘っ建て小屋で作曲活動に専念、『亡き子をしのぶ歌』の3曲やリュッケルトの詩に作曲、『交響曲第5番』にも着手。
●ツッカーカンドル家のサロンでアルマ・シントラーと出会う(11月10日)
●ミュンヘンで『交響曲第4番』の初演を指揮するが不評。
●アルマと婚約(12月)

1902

42歳
●『交響曲第4番』出版(1月)
●『交響曲第4番』をウィーンで初演(1月12日)
●アルマと結婚(3月9日)
●クレーフェルトで『交響曲第3番』の全曲初演を指揮、大成功を収める(6月)
●『交響曲第3番』出版。
●夏にマイアーニッヒで『交響曲第5番』を完成。
●『嘆きの歌』出版(9月)
●長女マリア・アンナ誕生(11月3日)

1903

43歳
●ヴィースバーデンで『交響曲第4番』、レムベルクで『交響曲第1番』、バールで『交響曲第2番』を指揮する(1-6月)
●夏、マイアーニッヒで『交響曲第6番』に着手。
●アムステルダムで『交響曲第3番』『第1番』を指揮する(10月)

1904

44歳
●ハイデルベルク、プラハ、ケルンで『交響曲第3番』を指揮。
●マイエンで『交響曲第4番』を指揮。
●シェーンベルクの『浄夜』を聴く(3月)
●次女アンナ・ユスティーネ誕生(6月15日)
●マイアーニッヒで『亡き子をしのぶ歌』(第2,5楽章)を完成させる(6月)
●夏、『交響曲第6番』の終楽章完成、『交響曲第7番』に着手。
●『交響曲第5番』出版(9月)
●ケルンで『交響曲第5番』を指揮。
●オランダで『交響曲第4番』『第2番』を指揮(10月)

1905

45歳
●『子供の魔法の角笛』の6曲、『亡き子をしのぶ歌』とオーケストラ伴奏の『リュッケルトの詩による歌』4曲の初演を指揮(1月)
●ウェーベルンと知りあう。
●フランスでマーラー音楽の初演(2月)
●グラーツで自作の歌曲などを指揮(6月)
●『亡き子をしのぶ歌』『リュッケルトの詩による歌』『子供の魔法の角笛』の最後の2曲出版。
●『交響曲第7番』完成(8月)
●トリエステ、ウィーン、ブレスラウなどで『交響曲第5番』を指揮(12月)

1906

46歳
●『交響曲第1番』から『第4番』までを、ウニフェルザール出版社から再出版。
●エッセンで『交響曲第6番』の初演を指揮(5月)
●夏、マイアーニッヒで『交響曲第8番』作曲。
●ザルツブルク音楽祭に出演(8月)
●『交響曲第6番』出版(11月)

1907

47歳
●マーラーに反対する出版界の活動始まる。
●ウィーン、ベルリンなどで『交響曲第6番』『第3番』『第4番』『第1番』を指揮する(1月)
●『サロメ』のウィーン初演などを指揮する(5月)
●ベルリンでメトロポリタン歌劇場の指揮者としての契約が実現(6月)
●マリア・アンナ没(7月12日)
●ペテルブルクとヘルシンキへ演奏旅行(10-11月)、シベリウスに会う。

1908

48歳
●メトロポリタン歌劇場にデビュー、『トリスタンとイゾルデ』を指揮(1月1日)
●『大地の歌』作曲。
●プラハで『交響曲第7番』の初演を指揮(9月)
●ニューヨーク・フィルとのコンサートを指揮し(11-12月)、『交響曲第7番』も演奏する。

1909

49歳
●ベルリンでR.シュトラウスが『交響曲第4番』を指揮(2月)
●パリで、ロダンのモデルをする(4月)
●既に出版済の諸作品の版権をウニフェルザール社に譲渡。
●夏はトプラッハに滞在し『交響曲第9番』を作曲。
●『交響曲第7番』を携えてオランダを演奏旅行(10月)
●『交響曲第7番』の小型スコア出版(12月)

1910

50歳
●『交響曲第9番』ニューヨークで完成(4月1日)
●パリのシャトレ劇場で『交響曲第2番』を指揮、ドビュッシーなどフランスの代表的作曲家が聴きに来るが、演奏の途中で席を立ってしまっている(4月17日)
●ゼメリンクに土地を購入(5月)
●アルマがトーベルバートでヴァルター・グロビウスと恋仲になる。
●夏はトブラッハに滞在。アルマとの関係が急速に悪化。
●『交響曲第10番』に着手。
●フロイトのもとで診察を受ける(8月)
●ミュンヘンで『交響曲第8番』の初演を指揮(9月12日)
●渡米(10月)
●喉を病む。

1911

51歳

●カーネギーホールでの演奏会(メンデルスゾーン『交響曲第4番』、ブゾーニ『悲歌的子守歌』)が最後の演奏活動になる(2月21日)
●連鎖球菌性咽喉カタルから心内膜炎を患い、パリを経由してウィーンに戻る。
(4月8日にニューヨークを発ち4月17日にパリに到着し、5月11日にウィーンへ向かう)
●指で指揮をしながら『モーツァルト』と二度口にし、ベートーヴェンと同じように吹きすさぶ暴風の中でこの世を去る
(5月18日午後11時5分)

●ミュンヘンで、ブルーノ・ワルター指揮により『大地の歌』初演(11月20日)


1912
●ウィーンで、ブルーノ・ワルター指揮により『交響曲第9番』初演(6月26日)

1920
●メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団により『マーラー・チクルス』のコンサートが八日間にわたり開かれる(5月6日-21日)
●オスカー・フリートがウィーンで『交響曲第8番』以外の交響曲の全曲演奏に取り組む(10月4日-21日)

1924
●ウィーンで『交響曲第10番』の二つの楽章(アダージョとプルガトリオ)初演(10月12日)

1935
●『嘆きの歌』(初稿)アルフレート・ロゼーの指揮で初演。

1955
●国際マーラー協会設立。

1964
●アルマ・マーラー死去
●デリック・クックの完成版により『交響曲第10番』の全曲初演
(8月3日)

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