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ブルックナー:交響曲第8番試聴メモ

◆2004年7月18日(日)
交響曲第8番アダージョチェリビダッケ/ミュンヘンフィルで聴く。

 このミュンヘンフィルとの演奏では、10小節目と12小節目は楽譜を変えているようだ。その小節の後半、チェリがクレッシェンドする部分だ。
 10小節目ではヴィオラがHの音を、12小節ではチェロがGの音をリズムを刻まずにのばして(2分音符にしているのか?)クレッシェンドしているみたいだ。日本での演奏はどうだったっけ?

 AUDIOR盤もEMI盤も基本的には同じだけど、音はずいぶん違う。
 AUDIOR盤の素肌感覚に対してEMI盤はお化粧をしている感じだ。チェリの演奏自体がもともとお化粧をしているので、どちらが良いかは本当に好みの問題と言えそう。で、ぼくはAUDIOR盤をとりたい。その一番の理由は第五部のトランペットのバランスにある。EMI盤のO(197小節)からのトランペットは明らかに突出し過ぎだ。


◆2004年7月12日(月)
交響曲第8番アダージョを中心にチェリビダッケ/シュトゥットガルト放送響で聴く。

 1976年のライヴ録音。
 ぱりっとした新鮮な野菜サラダのような音色は晩年のミュンヘンフィルとはずいぶん違う。重低音が無駄に響かないのと、音程がぴしっと合っているため爽やかですらある。その繊細な音色の音楽に独特のフレージングが施され、それに基づいた強弱とよく考えられたテンポがとられる。
 ミュンヘン盤(AUDIOR AUD-7001〜2)ほどではないが、やりたい放題やっていると言えなくはない。しかし、ミュンヘン盤ともどもそこに強い意志のような感情表現がないので押しつけがましさは皆無だ。

 使用楽譜は基本的にノーヴァク(VIII/2)だけど、例のごとくいろいろある(^_^;)
 まず第1楽章・5小節目はクラリネットじゃなくていつもの通りファゴットだ。
 スケルツォはダ・カーポしたあとの主題再現部のフルートが問題。76小節の最初のCの音がGになっている。1回目は普通に吹いているから単に奏者が間違えただけかもしれないが、ちょっと驚く。

 さてアダージョだ。冒頭部分はリズムが分からない、というか音が小さすぎる。生なら気にならないのだろうが録音ではよくない。いきなりの強音部で微妙なクレッシェンドやディミヌエンドを駆使して刺激音を避けるのは、美しい半面スケールが小さくなる。ややデメリットが多い。
 細かい表情付けもミュンヘン盤ほどではなくサラリとしている。ミュンヘン盤で聞こえる161小節、アウフタクトのヴァイオリンは聞き取れない。第五部、大クライマックスの弦
(Wの前)はスパッとではないが切っている。聴いた感じでのボウイングは不明。
 問題はコーダだ。272、274小節の第1ヴァイオリンはハース版で、その後280,281小節のホルンは第1ホルンのみハース版だ。つまり、ノーヴァクでの4分休符2個分で音をのばしているのは第1ホルンだけということ。なんじゃ、これ? その後のテナーテューバはちゃんとノーヴァクになっている。

 フィナーレは16小節のティンパニがいきなりフォルティッシモじゃなくてクレッシェンドするのは後年と一緒だが、初版の引用だろうか。このティンパニは「死の行進」のあとホルンが出る1小節前(214小節)の4拍目をBでなくFを叩くが、数え違ったのかな?


 ◆2004年6月5日(土)
交響曲第8番・アダージョハイティンク/ウィーン・フィルで聴く。

 1995年録音。
 冒頭のリズムはぎりぎり許すとして、それに乗っかる第1主題がのっぺりつながってしまうのはいけない。当然5連符後のアウフタクトと次の音も切れ目がダメだ。こんな感じで細かいことを言えば気に入らないところ満載だが、実はなかなか良い演奏だ。
 無駄なアゴーギクも無駄なエスプレッシーヴォも一切ないのに、心からの愛情で演奏しているのが伝わる。表面的でなく内側から美しい響きがあちこちで聴ける演奏なのだ。ハース版。


◆2004年5月30日(日)
交響曲第8番ベーム/チューリッヒ・トーンハレを聴く。

 数年前に一度聴いたんだけど、1978年12月4日のライヴ録音で、PALEXA CD-0522というもの。
 演奏はまあ普通。ジャケットにはハース版と明記してあるけど、使用楽譜がおかしい。
 アダージョの基本はきっとハース版だろうが、主題三現前のところはクラリネットが入っているし、“谷間の百合”はカットされる。そして大クライマックスの5連符はトランペットがオクターヴ上を吹く!
 フィナーレの基本はノーヴァク版か。しかし、第2主題再現で第2ヴァイオリンをハース版にしてあるのはともかくとして、第3主題再現前もハース版だ!


◆2004年5月6日(木)
交響曲第8番アダージョフィナーレテンシュテットで聴く。

 1982年9月録音。ロンドンフィルとの演奏。これも昔チョロッと聴いたことがあってけっこう良かった印象が残っている。

 アダージョのリズムは不鮮明だ。引摺る様がなんか物語を想起させる。18、36小節のアウフタクトもつながってしまう。
 歌い方というよりも響そのものに感情がこもっている。というか、演歌調の“泣き”が入っているのだ。
 副次部再現前
(K)のトレモロはノーヴァク版だからディミヌエンドするわけだが、ハースのように強いままの方が好きだなぁ。
 主題三現前のppのピツィカートはあまりに小さすぎだ。
 大クライマックスのあとの弦
(Wの前)は楽譜通りのボウイングかどうか分からないが、アウフタクトも生きていてなかなかmarkigだ。
 コーダのホルンにも“泣き”が入っているが、ブルックナーとしては違うと思う。
 テュッティの強奏部分で金管が他をマスキングしてしまうのは不満だが、特にでしゃばるのがトランペットでなくホルンなのは救いだ。

 副次部前の第2ホルンソロのあと(C)に編集の跡がわかる。

 アダージョもそうだったが、フィナーレも同様だ。つまり、常識の範囲で強弱やテンポの変更はあるが、スコア通りということ。ほぼノーヴァク版のままと言える。そして、良くも悪くもテンシュテットのこの曲に対する解釈が、余すことなくオケに伝わっている演奏だ。その意味で名演!
 特筆すべきは展開部で第1主題と第3主題が同時に3回鳴る部分
(V、X、Y)とコーダ前に第1楽章第1主題が叫ばれる部分(Ss〜)
 前者の、1回目
(V)強奏の中にしっかり聞こえてくる木管の悲壮感や、2回目(X)の第1,2,5,6ホルンの前打音が聞こえるところが素晴らしい。そして3回目(Y)では第1,2ホルンの目一杯の吹きのばしに他も目一杯で応える感動的な響きの創造! 弦が聞こえないなんて仕方ないでしょう!!
 そのテンシュテットの音楽の集大成が後者
(Ss〜)だ。やはりホルンの最強奏吹きのばしの中、なんて悲劇的に叫ばれる神への嘆き!! その後のpを無視して強めのまま進むところも素晴らしい。本当にディミヌエンドするのは13小節目くらいからだが、諦観を払拭するように呻くバスが効果的に響くのも印象深い。
 コーダも素晴らしい。響きのバランスをとっている感じがしないくらいの力強さを持ちながら、4つの主題が見事に鳴り響く。終結なんてどうでもイイじゃん! 大円団
(Zz)前に走り出すのも許そう!!

 というわけで、所謂ブルックナーらしくはないが、マーラーのディスクよりもずっと良い演奏だと感じた。このテンシュテットのブルックナーはマーラーのように汚い響きもないが、何でブルックナーらしくないのか? 良く分からない。外に向かう開放的な感じがしない響きなのは予想通りだが、凝縮した響きでもないのだ。その場に留まって浮遊しているような響きと言ったらいいか? いっそう分かんないか。

◆2004年5月4日(火)
交響曲第8番アダージョフィナーレコンヴィチュニーで聴く。

 聴いたのは1959年12月録音、ベルリン放送交響楽団とのもの。
 アダージョ冒頭は予想通りちゃんとしたリズムの刻み具合だ。
 18、36小節のアウフタクトはもっとしっかり弾き分けて欲しいなあ。ゲゲ、副次部前の第2ホルンのソロは動きの前でいったん切るぞ!
 主題三現のテンポはずいぶん遅いなと感じるが、良く聴けば冒頭のテンポとほぼ同じだ。お見事。
 せっかくのハース版なのに「谷間の百合」部分のオーボエが貧弱。あれじゃ「谷間の苔」か。クライマックス後の弦
(Wの前)は全然ダメだ。

 フィナーレは遅めのテンポでいきなりmfくらいから始まる。まあまあだね。56小節からのテナーテューバが“loco”にならない。第3主題のニヒト・ゲブンデンは2小節間のみという感じだ。
 オウ、ノウ!「死の行進」で突然テンポが・・・。その後、弦ピツィカートに乗っかるホルン4重奏もどうして32分音符の前を切るのぉ!?このリズムの強調はヘンだ。
 Aaからは楽しい。楔形をスタッカティシモと解釈し如何にもリズミックに早めのテンポで飛び跳ねる。そして再現部ではぐっとテンポを落とすのだ。しかし、そのテンポこそ冒頭のテンポなのだ。良く計算されている。第3主題の再現はヴィオラがイイ感じのニヒト・ゲブンデンで出るのに続く第2ヴァイオリンも第1ヴァイオリンもダメだ。
 コーダはゆったり始まり多少早くはなるが、まあ許せる範囲。最後はリタルダントしないでいきなりリテヌート。スコア通りと言えるんじゃいかな。

 全体的に真面目で素朴な演奏。良く計算されたテンポが素晴らしいと言えるが響に詩情が乏しい。特に弱音部はとても陶酔できない。金管の強奏部は、案の定トランペットがうるさい。


◆2004年5月1日(土)
交響曲第8番フィナーレの提示部をヴァントで聴く。

 どれも基本は同じだが意志が統一されているかいないかの差が出ている感じだ。sardanaのベルリンフィルとのものは細かいところで意思の統一がなされていない。たとえば金管の音のしまい方などが不揃いなのはそのためだろう。最も統一されているのはやはりsardanaの北ドイツ放送響(2000年)だ。

 とにかく冒頭の弦の力強さが気持ちいいし、それに乗っかる金管は質量の高い鉄球が跳んでくるような迫力。第2主題後半のヴァイオリン(119〜)のテヌートは音量も奏法もいつもふにゃっとした解釈だ。第3主題はテヌートを付けた8分音符から突然音量を下げて長めに弾くのが新鮮だ。この解釈はsardanaの北ドイツ放送響盤が最も際立つ。

Lは思い切ってゆったり演奏される。Mは第3主題のテンポではなく冒頭のテンポに戻る感じだ。


◆2004年4月30日(金)
交響曲第8番アダージョの主題再現までをヴァントで聴く。

 冒頭はリズムもあり、裏をクレッシェンドして5小節目に少しアクセントをつけるなど味付けも濃い。5連符もちゃんとしてるし次の8分音符もちゃんと切って朝比奈より良いのは流石だが、その前のヴァイオリンの複付点2分音符を管の付点2分音符と一緒に短く切ってしまうのがなんだな・・・。

 ヴァントの第八はいくつかあり、冒頭部分がダメなのはリューベック大聖堂盤だ。なぜかこの演奏はヌメッとしている。最も良いのは<sardana sacd-264/5>という2000年5月の演奏じゃないかと思う。


◆2004年4月29日(木)
交響曲第8番アダージョの主題再現までを朝比奈で聴く。

 朝比奈のキャニオン盤(1994)が美しい。PPやPPPを豊かに響かせるのが技術的弱点を補うのに役立っていると思う。冒頭のリズムものっぺりしていない。弱音部のトレモロもちゃんと鳴っている。そして、たとえば17小節や36小節のアウフタクトと次の音がつながらないのは高得点だ! ここの部分、朝比奈はどれも軽く力こぶが入る程度だが、アンサンブルがずれるとつながってだらしなく聞こえてしまう。
 2001年盤はさらに無駄を省こうというような、新たな挑戦が始まるかのような積極性を感じる。主題再現の直前4小節の弦は尋常ならざる突っ込み具合だ。アンサンブルはやや乱れがち。枯れない朝比奈がいる。
 N響(1997)との演奏(放送音源)はもっと常識的。というのは、たとえば冒頭のppはちゃんとppなのだ。オケのうまさは勿論プラスに働くが、朝比奈の細部への要求は大フィルの方が忠実に再現していると思われる。2度目の5連符が《2+3》になりそうだ。

 5連符で書いてあったら、ちゃんと5連符で弾いて欲しい。つまり《2+3》や《3+2》にして欲しくないということ。朝比奈はオケによって微妙に変わってしまうが、基本的に楽譜通りだから嬉しい。


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