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演奏会日記

朝比奈 隆

このページの目次

1976年1月29日 新日本フィル/ブルックナー:交響曲第7番ほか
1976年7月29日 大阪フィル/ブルックナー:交響曲第4番ほか

1977年4月15日 新日本フィル/ブルックナー:交響曲第8番
1977年9月1日 大阪フィル/ブルックナー:交響曲第6番ほか

1992年9月2日 新日本フィル/ブルックナー:交響曲第5番
1992年9月7日 新日本フィル/ブルックナー:交響曲第7番

1992年9月7日

サントリーホール

ブルックナー:交響曲第7番

指揮:朝比奈隆
新日本フィルハーモニー交響楽団

 これぞ自然体の、最もブルックナーらしいブルックナー。テンポも響きも自然。
 強奏における突き抜ける解放感、そして弱音のニュアンスは清々しい野山の息吹を身体中に染み込ませてくれる。
 テンポも実に柔軟な自然さだ。頑なにイン・テンポを守ることが不自然であることを悟ったという感じ。頑なにイン・テンポを守ることは、逆に朝比奈が出てきてしまうことにつながるのだ。ブルックナーの音楽が身体に染み込んでいる朝比奈が、その気持ちを押さえ込んだら不自然につながるということはあり得るだろう。
 それにしても、スケルツォのスマートさはいかばかりだろう。いや、スマートという表現は当てはまらない。朝比奈の短所とも言える、引きずるような重たさが皆無だったのだ。
 オケも素敵だった。

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1992年9月2日

サントリーホール

ブルックナー:交響曲第5番

指揮:朝比奈隆
新日本フィルハーモニー交響楽団

 テンポといい、響きといい、ニュアンスといい、文句無し。これぞブルックナー。自然体!
 宇野さんの8番が小賢しく聞こえてくる。

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1977年9月1日
第16回東京定期演奏会

東京文化会館

ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
ブルックナー:交響曲第6番

指揮:朝比奈隆
大阪フィルハーモニー交響楽団

 第6交響曲などで、こんなに感動が得られるとは思いもよらなかった。
 瑞々しい木管に、コクのある弦、そして金管の最強奏。朝比奈としては速めのテンポと感じたが、そのテンポはこの『第六』にぴったりだ。
 第1楽章冒頭のヴァイオリンの音型などはっきりしていないが、それすらブルックナーの響きに相応しい。
 スケルツォでは、今まで最強奏かと思っていた金管群が、それを上回る音量を響かせたからたまらない。まさしく無限の響き。
 フィナーレは洒落た第2主題も素敵だったが、感動の的は終結部分だ。第1楽章の主題と混じりクライマックスとなるが、そこでテンポが落ちスケルツォの時の無限の響きとなる。

 朝比奈の金管のffは、トランペットが控えめだから良いのだろうか。そのかわりホルンとトロンボーンは凄い。

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1977年4月15日

東京文化会館

ブルックナー:交響曲第8番

指揮:朝比奈隆
新日本フィルハーモニー交響楽団

 待ちに待った朝比奈の「第八」。もう、嬉しくてしょうがないのに開演前に山田一雄に握手までしてもらい、僕の歓喜は最高潮!
 有機的で透明でスケールの大きい、朝比奈らしいブルックナーだったがやや金管が強すぎる嫌いはあった。
 その金管群だが、スケルツォではホルンを筆頭に陶然たる強奏を広々と響かせてくれた。アダージョも美しさの極みだ。フィナーレは雄大。しかし細部も生きていた。111小節からの絶妙なニュアンスをくれた木管は、とても新鮮に響いてきたし、183小節からのクライマックスでは造型を崩さずに見事なアッチェレランドをかけ、231小節に至ると魔法のようにもとのテンポに戻り、ホルンの和音が豊饒に響く。617小節の第3主題の再現でテンポがずれたのは惜しかったが、些細なことだ。
 とにかく朝比奈のブルックナーは音色の融合と響きの解放感が魅力的。心の糧、魂の糧だ。

 *打楽器はティンパニのみの演奏。

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1976年7月29日
第15回東京定期演奏会

東京文化会館

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
ブルックナー:交響曲第4番

指揮:朝比奈隆
大阪フィルハーモニー交響楽団

 流石朝比奈、という感じの素晴らしいブルックナーだったが、残念ながら感動はできなかった。全体的には細部にこだわらない、朝比奈独特の大味なブルックナーだといえる。
 ホルン(音色は悪い)を筆頭にオケの調子もよく、文句をつけるところもないほどだったが、響きの融合に不満を感じた。

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1976年1月29日

東京文化会館

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466
ブルックナー:交響曲第7番

ピアノ:申 秀貞
指揮:朝比奈隆
新日本フィルハーモニー交響楽団

 ついに朝比奈のブルックナーを生で聴いた! 大フィルとのコンビでないのでやや心配していたが、そんな不安はすぐに消し飛んだ。
 第1楽章冒頭は、トレモロの上を泳ぐ旋律が厚みがたっぷりで、しかも濁りがない。そして、予想外に素晴らしいのは金管の音色だった。少しも耳障りな音はなく、ffでも余裕をもって奏しているように感じられる。背後に何か巨大なものを感じるのはそのせいだろう。ブルックナーはこうでなくちゃ。去年聴いた山岡/日本フィルの時はffの時に、もうこれ以上でないというような限界を感じてしまったが、朝比奈の場合はそれが無いのだ。実際は限界まで鳴らしているのかもしれないが、それを感じさせない。幅広く深い解放感が一味も二味も違う。第1楽章が終わって、すでに感極まってしまった。

 モーツァルトは少し窮屈そうに指揮をしていたが、かなりの好演ではあった。ピアノはオケと溶け合っているという感じだったが、あまりうまくなかった。

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