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演奏会日記

エフゲニ・ムラヴィンスキー

1975年6月7日

東京文化会館

モーツァルト:交響曲第39番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

 モーツァルトが始まったとき、今まで僕が経験してきたオーケストラとは格が違うということをハッキリ感じさせられた。もう、それだけでも満足という感じだ。

 さて、演奏は、モーツァルトに於てとてつもなく大きな感動を得た。
 全体的にはムラヴィンスキー独特の颯爽とした感じで、淀むことの無い澄んだ谷川を岩魚が泳ぐような、気持ちの良い演奏だった。特に僕の感動の的は第3,4楽章だ。
 第3楽章4小節目の4分音符を意味深く強調したり、Trioのクラリネットを1回目はフォルテ、2回目はピアノにするエコー効果、その後のヴァイオリンのメロディーのアーティキュレーションなど、僕の理想の解釈が最上に再現される凄さを味わった。
 第4楽章はクレッシェンド、ディミヌエンドが非常に効果的に響き、フォルテの部分の金管も上質。とにかく透明で、純粋なモーツァルトの音楽を聴いた気がした。

 チャイコフスキーはモーツァルト程の感動は得られなかったが、第4楽章は良かった。
 ホルンが少しお疲れ気味で、フルートがやや大きすぎの気がしたが、席のせいかもしれない。

 最後は、楽員が退場した後も鳴り止まぬ拍手に、コンマスと数十回も出てくる姿にとても暖かさを感じた。
 ムラヴィンスキー万歳!

1979年6月5日

神奈川県民ホール

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死
楽劇「ジークフリート」から森のささやき
楽劇「ワルキューレ」からワルキューレの騎行

指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

 4年前の感動を上回るどころか、今までに体験したことの無い種類の感動を味わった。それはワーグナーに於てだが、勿論田園も素晴らしかった。

 田園ではフォルテを廃し、ムラヴィンスキー独特の一直線な表現の中にいろいろなニュアンスを織り込んだ、純音楽的な名演だった。しかし、今回のムラヴィンスキーは4年前とは少し違っていた。淡い表現の中に、十分な「間」が存在したのだ。オケの音色も、透明なことは同じだが、ひんやりした感触が少し減少したようだった。そのためか、ピンと張りつめたような緊張力に物足りなさを覚えた反面、音楽が親しみやすくなったように聞こえた。
 素晴らしかったところを具体的に上げると、第1楽章150小節からの弱音の絡み合いの繊細な見事さ。第2楽章では、ファゴット、ヴィオラ、チェロによるメロディーの、何とも言えない融合した音色感。そして、ムラヴィンスキーの「田園」で最高とも言えるスケルツォだ。
 ソロ・オーボエのあたりからバランスが最高で、モーツァルトのディヴェルティメントでも聴いているような気持ちに快く浸っていると、物凄い解釈がやって来るのだ!
 2/4拍子にかわる4小節前でふっと音楽が止まり、凄い勢いで2/4に流れ込んだのだ。その時は一瞬魔法にかかったようで、何が何だか分らなくなってしまったくらいだが、もうそこで感極まったのだった。

 しかし、今夜の白眉は明らかにワーグナーである。
 何という弱音、何という透明感。「前奏曲と愛の死」は、まさにチェリビダッケの再来。そして、最後の「ワルキューレ」で完全に打ちのめされるのだ。何というフォルティッシモ。どんなに強音になっても、全く濁らずもたつかない。驚異的だ。身体中の力が抜けるような、どうしたら良いか分らないといった感動。一緒に聴いた友人の藤野君と握手しまくっていた。


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