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演奏会日記

ハインツ・レークナー

このページの目次

1978年12月19日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第9番

1981年6月24日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第3番ほか
1981年7月6日 読売日本交響楽団/ブラームス:交響曲第2番ほか
1981年7月13日 読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第9番ほか

1982年9月13日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第6番ほか
1982年9月22日 読売日本交響楽団/ブラームス:交響曲第3番ほか

1984年1月27日 読売日本交響楽団/モーツァルト:交響曲第41番ほか
1984年2月2日 読売日本交響楽団/シベリウス:交響曲第2番ほか
1984年2月10日 読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第8番
1984年11月20日 ベルリン放送交響楽団/ブルックナー:交響曲第4番ほか

1986年9月19日 読売日本交響楽団/ブラームス:交響曲第1番ほか
1986年10月13日 読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第7番ほか

1987年9月22日 読売日本交響楽団/ブラームス:交響曲第2番ほか
1987年9月28日 読売日本交響楽団/マーラー:大地の歌ほか
1987年10月27日 読売日本交響楽団/シベリウス:交響曲第2番ほか

1988年3月8日 読売日本交響楽団/マーラー:交響曲第9番ほか
1988年3月14日 読売日本交響楽団/モーツァルト:交響曲第41番ほか
1988年10月7日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第6番ほか
1988年10月14日 読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第6番ほか

1989年9月30日 読売日本交響楽団/プロコフィエフ:交響曲第7番ほか

*1990年10月19日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第8番ほか

*1991年12月22日 ベルリン放送交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第9番

*1992年12月12日 読売日本交響楽団/スクリャービン:交響曲第4番ほか

*1994年2月10日 読売日本交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第6番ほか

*1996年2月15日 読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第7番ほか

1989年9月30日

東京文化会館

シベリウス:交響詩「トゥオネラの白鳥」
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調
プロコフィエフ:交響曲第7番嬰ハ短調

Pf:ダン・タイ・ソン
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

  プロコフィエフの7番は初めて聴いたが、けっこう聴きやすい音楽で映画音楽のようなところもある。レークナーはプロコフィエフ特有の無機的な音彩とリズム、そして叙情を見事に音化していた。しかし、読響の木管セクション、特にフルート、クラリネット、ファゴットは全く魅力がない。何とかして!
 シューマンでのレークナーは流石! ダンのピアノにぴったり合わせていた。
 ダンのピアノは、かなりロマンティックなのに、その情熱を前面に表出するのではなく、理性による抑制が必ず効いている感じだ。しかし、かなりの好演だが、もう一つ物足りない感じがしたのはなぜだろうか。レークナーはそういうダンの音楽性にピッタリつけていたから凄い。
 トゥオネラは、まあ普通。

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1988年10月14日

東京文化会館

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調
ブルックナー:交響曲第6番イ長調

Pf:アンネローゼ・シュミット
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

  ブラームスの最初の一撃で、既に聴くものを集中させるレークナーの響きは流石だ。良く引締り、乾燥しているのに滋味溢れる感じ。シュミットは可もなく不可もなく。

 ブルックナーはレコードとほとんど同じことをやっているのに全く違った印象を与えられた。
 勿論、完成度はレコードの方が高いと思うが、レコードで表面的に響く部分がライヴではそんなことはなかった。また<レークナー・クレッシェンド>も当然ライヴの効果は凄い! フィナーレの終結は凄かったあ。

 それにしても、読響の木管は何とかして欲しいものだ。品の無いフルートに頼りないオーボエ、センスのないクラリネットに鳴りの悪いファゴットときている。これではレークナーのハイセンスな音楽性に応えるのは難しかろう。

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1988年10月7日

サントリーホール

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調「田園」
ワーグナー
「ニュルンベルクの名歌手」からザックスのモノローグ
「ワルキューレ」からヴォータンの別れと魔の炎の音楽
「タンホイザー」序曲

Bs:テオ・アダム
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

  非常にアッサリとしたテンポの中にハイセンスなフレージングが味を与え「田園」をとっても気持ち良く愉しめるのだが、読響の木管の弱さを含め今一つ物足りない感じもした。ただし、前回の激烈ティンパニ強打はなく、完成度としては高い。
 レークナーは、スケールが小さいものの音楽性が優れているため、実に味わい深い。
 テオ・アダムはまあまあ。
 アンコールはバーバーの弦楽のためのアダージョ。

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1988年3月14日

サントリーホール

モーツァルト
交響曲第25番ト短調K.183
ヴァイオリン協奏曲第五番イ長調K.219
交響曲第41番ハ長調K.551

Vn:ヘッツェル
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 ややゆったりしたテンポと、ふっくらと豊かな響き、そして逸脱しない自在感を持った、ほぼ理想的なモーツァルトだった。交響曲第25番のオーボエの美しさなど、特筆に値するだろう。
 協奏曲におけるヴァイオリンのスタッカートのチャーミングなこと! 吹き流しやキザミ等の内声までが、まるで息ずくほどの美しフレージングだ。
 やや遅めの上品なメヌエットは、古雅とか典雅という言葉がよく似合う。「ジュピター」のフィナーレにおけるスピード感は、レークナーの面目躍如たるものがある。

 アンコールは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第二楽章。これはもう、す・て・き!

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1988年3月8日

東京文化会館

武満徹:オーケストラのためのTWILL BY TWILIGHT
マーラー:交響曲第9番

指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 ワルター/ウィーンフィルやバーンスタイン/ベルリンフィルの物凄い第1楽章における意味を、最後に思い起こさせるレークナーの物凄さよ!
 とにかく、いつものごとく無駄な感情移入は一切排除された純音楽的という言葉が似合う演奏だった。さらに、フィナーレを聴いて前3楽章の意味が悉く分ってしまうという見通しの効いた構成の凄い演出なのだ。というか、全部を同じ要領で演奏した結果がたまたま聴き手にそう感じさせたのかもしれないが、とにかくフィナーレが始まった瞬間からその響きによって全てが見え、あっという間に回想され、曲が終わるまで涙の流れるのを止めることができなかった。

 第1楽章は、かつて聴いたことの無いような速いテンポだ。音楽的表現のコクや抉りは効いているが、マーラーの叫びや憧憬などには決して未練を残さない。つまり、人間の根源的な葛藤にこちらが共感しようとする間も与えず、どんどん先に進むのである。故に、豊かな音楽を聴いたのに、何か不満が残るような気がする。
 そして、テンポとしてはオーソドックスな中間2楽章があるのだが、これこそレークナー得意の曲想であり、時に顔を出すマーラーの体臭も純音楽的に処理され、流石と唸らせるのだ。
 さらに、そのレークナーの卓越した音楽性をそのままフィナーレに於ても表出されたら、全てクッキリと見えるではないか。このフィナーレの冒頭は、それこそマーラー自身の涅槃の世界。マーラーは前3楽章までに、憧れと諦めと、そしてそれらを無視してみることを試みる。そして、やっと涅槃の世界を表現するのに最後は結局解決させないまま終わってしまう。
 マーラーの音楽は聴くものに考えさせる。
 だから、おもてだった感情表現を演奏者がすると、その場その場でガンガンハンマーで打たれるが如くショックを受ける。しかし、そのスコアを純音楽的に共感を内面に封じ込めて表現すると、実に冷静に物語ってくる。故に、その物語ってくる内容の儚さ、つらさが見えたとき、いても立ってもいられなくなる。レークナーの演奏は、そんな凄さで僕の心を思いっきり締めつけてくれた。

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1987年10月27日

サントリーホール

ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」
モーツァルト:演奏会用アリア
・どこから来たか知らないK.514
・この美しい手と瞳のためにK.612 <Cb独奏:星秀樹>
・娘よ、お前と離れている間に
シベリウス:交響曲第2番ニ長調

Bs:ヘルマン=クリスチャン・ポルスター
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 ハイドンは、例のごとくスッキリしたテンポでアッサリ演奏されたが、その純音楽的な美しさはなかなか類を見ないほどだろう。魅力はしっかりした造型と瑞々しいニュアンス。
 シベリウスではレークナーの思い切った表現がツボにはまり、無駄のないよく引締った内容タップリの名演となった。

 アンコールは悲しいワルツか?

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1987年9月28日

サントリーホール

ベルク:ヴァイオリン協奏曲
マーラー:大地の歌

Vn:塩川悠子
A:ローズマリー・ラング T:小林一男
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 実に見事な美しい響きだった。こんなに美しい響きの読響はチェリ以来だ。
 レークナーの解釈は、例のごとく良くも悪くも完全に『レークナーの大地の歌』という感じだ。マーラー特有のねちっこさや熱い情感において物足りない部分がある反面、とてもフレッシュな高い次元での愉しさがある。
 テンポは第3楽章のみやや遅めであとはスッキリだ。
 第1楽章など、レークナーの自在感と曲がマッチしているせいか見事な名演だと思った。
 歌手は全然ダメ。聞こえてこない。しかし終演後友人に『大地の歌であれだけ聞こえれば普通じゃない』といわれた。
 オケの美しい響きはベルクにおいても充分効果的。塩川のヴァイオリンも美しかった。

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1987年9月22日

新宿厚生年金会館

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ラベル:ピアノ協奏曲ト長調
ブラームス:交響曲第2番ニ長調

Pf:セシル・リカド
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 「ドン・ファン」は、息もつかせぬような名演。8小節目のトランペットの4分音符が、なんて凄い「間」で生きていたことか!
 ブラームスでもレークナーはやりたい放題。早めのインテンポに、凄いルバートが出没する。そのためか特に第1楽章など、オケが戸惑っている感じでタテのアンサンブルがズレどうしだった。しかし、名演と言いたい!

 ラベルはオケにもっと洒落た音色を求めたい気がした。

 アンコールはハンガリー舞曲第1番。これも名演!

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1986年10月13日

東京文化会館

モーツァルト:交響曲第31番ニ長調「パリ」
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調

指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 いつ始まったか分からぬほどのピアニッシモでトレモロが開始されると、ホルンとチェロによる旋律もメッゾピアノくらいで歌われ成程と思った。
 レークナー独特の美音とタップリ歌われるメロディ、そしてしっかりと聞こえてくる内声。決して普遍的なブルックナー演奏ではないかもしれないが、ここまで自分の血肉として楽譜を消化し尽くしていると、そのレークナーの音楽性に感動してしまう。
 基本テンポが速めでスッキリしているので、いろいろ小ワザを使ってもあまり嫌みにならない。第1楽章・Zの後のトランペットの切れ味は凄かった。

 スケルツォで、ダ・カーポするとき、譜面をがさがさめくるのはいただけなかった。興醒めです。

 「パリ」は佳演。

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1986年9月19日

新宿厚生年金会館

モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調
ブラームス:交響曲第1番ハ短調

Pf:ケン・ノダ
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 ブラームスが圧巻だった。
 全体的に速めのテンポで、バスや内声を効かせて抉り抜く。また、フレージングの音楽的な心配りが嬉しい。第1楽章・472小節から、またフィナーレ・28小節目のフォルティッシモ、176小節からのフォルテのクレッシェンドなどのティンパニの決めは凄絶!
 フィナーレ・267小節のリタルダントや、コーダ・395小節から本の少し落したテンポでの「ben marca.」が実に生きる。そして、407小節のコラールが強奏される前の大きなリタルダントなど、表現のどこにも曖昧なところが無いのがイイ。ひさびさの、涙の感動!
 アンコールはハンガリアンダンスの5番。
 モーツァルトは両曲とも佳演。もう少し音色が磨けるかも。ケン・ノダは全然ダメ!

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1984年11月20日

東京文化会館

ワーグナー:ジークフリート牧歌
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調

指揮:ハインツ・レークナー
ベルリン放送交響楽団

 前日まで迷っていたが、本当に行ってよかった。
 なんて幸福なジークフリート牧歌だろう。ゆったりとかみ砕くように語りかけ、全く嫌みのない暖かさが身体に染み込んでくるような豊かな音楽。所々に煌めくセンスの良いリズム処理も素敵。
 ブルックナーは第3・4楽章が名演だった。
 レークナーの解釈としては最初から最後まで統一されており、今までの体験から想像のつくものではあった。オケの音楽的表現力は立派なものだったが、技術的にはそれ程でもない。金管につまらないミスが目立ったのだ。がっくりするほどの邪魔さではないが、感動の妨げにはなった。
 フルートの合奏力のうまさは特筆もの。ホルンは、パワーがないのかわざと抑えていたのか、やや物足りなかった。
 アンコールのG線上のアリアは完璧、そして感動! 物凄い音楽性。する喜び、聴く喜び。

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1984年2月10日

東京文化会館

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調

指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 残念。今一つの出来だった。
 内声におけるチェロ・ヴィオラの強調、ヴァイオリンの漸強弱、音量の変化と余裕を持たせたクライマックスへの導き方など、レークナーらしい良さがあるのだが、それらが完全に生きているとはいえなかったのだ。
 無駄な変化のないテンポは全く自然で、フォルティッシモの響きも有機的で意味を感じさせるので、決してブルックナーから逸脱するわけではなかった。しかし、「第八」と言う曲であること、レークナーであることを考えるとはなはだ物足りない。あのモーツァルトの時のような透明感と絶妙なニュアンスがなかったのだ。
 レークナーの意図が団員に伝わりきっていなかったのか、それともレークナーの解釈自体が未消化であったのか?

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1984年2月2日

東京文化会館

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
シベリウス:交響曲第2番ニ長調

Vn:和波孝禧
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 ディナーミク変化が抜群のニュアンスをもって表出され、音楽が脈を打つように流れるのは流石レークナーだ。しかし、先日のモーツァルトを知っているとまだまだ響きに磨きがかけられると思われた。
 それにしても、レークナーの響きは透明なのに暖かい。造型はスッキリしているので、一層透明感が増すのに暖かい。ソロ・ヴァイオリンの下、伴奏のコードがなんて音楽的に響くことか。
 シベリウスも、北欧というよりレークナー自身の響きだ。それだけにバランスが今一つのところがあったのは残念だった。最近の読響は管の実力が少し落ちたような気がした。
 アンコールはグリーグの遅すぎた春。寂しさと暖かさ、美しい。本当に何度も繰り返すが得も言われぬニュアンスに感動してしまう。
 和波は音程が悪く、リズムも乱れがちだし、音量にも乏しく良いところなし。

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1984年1月27日

五反田簡易保険ホール

モーツァルト:交響曲第1番変ホ長調
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」

Pf:花房晴美
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 音符を一つも疎かにしない、レークナーのニュアンスに満ち溢れた演奏。全く、なんというデリケートな音楽なんだろう。暖かく血の通った心配り。表面上、全体的な流れとしてはスッキリしているだけに、一層心を打つ細やかさ。
 ピアノ協奏曲など出だしから繊細な美しさに参ってしまう。
 そしてアンコールに演奏された「アイネ・クライネ」の第2楽章こそ、全てが存在する音楽だった。欲するものは全て、そこに与えられたのだ。
 花房はレークナーの伴奏を何も感じないのだろうか? ピアノが出てくると、レークナーの伴奏が聞こえなくなるので、かえって音を出さないで欲しかったくらいだ!

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1982年9月22日

東京厚生年金会館

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調
モーツァルト:フルート協奏曲第2番ニ長調
R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

Fl:ジェームス・ゴールウェイ
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 とても愉しく、そして素晴らしい演奏会だった。
 音色の瑞々しさと豊かなニュアンスで、多彩な表情が生き生きとしていたブラームスは、牧歌的な感じと清々しい広がりで心を豊かにしてくれるようだった。

 モーツァルトはすっきりと流した感じ。ゴールウェイはサービス精神旺盛で、とても愉しいアンコール付きだ。

 そして「ティル」はもう最高! 純音楽としての極みとでもいうべきか、シュトラウスのオーケストレーションを見事に、自由自在に表現していた。この曲で感動するとは!
 そして予想どうりのアンコールは、今日のハイライトだ。
 「なんで今日のプログラムでハープがあるんだ?」と友人と話していたのだが、やはりそうだった。アンコールは「マイスタージンガー」だったのだ。レコードで知っていたレークナーのマイスタージンガーを生で聞いてしまった。感極まってしまった。

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1982年9月13日

東京文化会館

ハイドン:交響曲第53番ニ長調「帝国」
リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
ベートーヴェン:交響曲第6番へ長調「田園」

Pf:中村紘子
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 儚いハイドン。とても上品で美しく、儚いハイドンを聴いた。
 リストは各楽器のバランス、リズム感、急所における決めがピシッとするどく素晴らしかった。ソロは一生懸命力んでいた。平板で濁った響き、どうしようもない。
 田園は、第1楽章における木管ホルンの球のような3連符、第2楽章の気持ちを込めきったヴァイオリン、クラリネットとオーボエの見事な小鳥、スケルツォにおけるチャーミングなオーボエ、フィナーレでは、優しく美しく、そしてこの上なく丁寧に奏される低弦のピツィカートが、とても印象的だった。
 特筆すべきは『嵐』で、ティンパニだけを最強打させたこと。割れるような音を出すためにバチまで持ち替えて。
 随分宝石を拾うことは出来たが、レークナーとしてはまだまだ物足りない感じのした田園だと思う。

*この時のティンパニは野口力さんで、後日ウチのオーケストラと関わりを持ち当時の話を聞くことが出来たのだが、あれは全くレークナーの指示などなかったそうだ。読響の熱血ティンパニスト・野口力先生の音楽的欲求がさせたことなのだそうだ。

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1981年7月13日

東京文化会館

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調
ブルックナー:交響曲第9番

Pf:神谷郁代
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 まだレークナーは試行錯誤の段階でないか、といった印象を受けた。全ての楽章において夫々いくつかの素晴らしい部分があり感動もしたが、随分雑なところもあった。そう、レークナーのやりたいことが楽員に伝わりきっていないというような感じを受けたのだ。その意味では前日のブラームスと同じだ。
 全体としては、テンポ変化がかなりあった割りにスッキリしており、スケルツォなどシューリヒト風の見事な響きだった。第1楽章の終結では一度音量を落してクレッシェンドするという恣意的な解釈がスケールを小さくするとはいえ、興奮を高めるような表現だった。
 それにしても、非常に透明な響きを聴かせる部分と、ひどく濁った響きを聴かせる部分があり、やはり仕上げ不足だったのかなあ。

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1981年7月6日

東京厚生年金会館

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番
モーツァルト:オーボエ協奏曲
ブラームス:交響曲第2番

Ob:インゴ・ゴリツキー
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 所々にレークナーらしい彫りの深い魅力ある音楽を聴かせてはくれたが、今日は全体的に今一歩のできだったような気がする。響きの統一感においても、アンサンブルやバランスにおいても、どこか中途半端な雰囲気があり、未完成の音楽を聴かされているような気がしたのである。
 しかしそれでも、ブラームスの交響曲における最後は見事に決めてくれた。ティンパニの雄弁なクレッシェンドと、fからffに変わるタイミングの素晴らしさ、そしてその劇的な音楽に相応しい指揮ぶりは、聴くもの見ているものを興奮させずにはいられないといった感じだった。
 オーボエのゴリツキーは甘い音色。
 アンコールはフィンガルの洞窟。

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1981年6月24日

東京厚生年金会館

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

Vn:藤川真由美
指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 久しぶりに感動した。全く見事な音楽。全ての音が自発的、つまり意志を持った有機物のような響きで、各パートが絶妙のバランスを保ちつつ実に自然な音楽を奏でていた。
 弦を中心とした響きにティンパニの強打によって核を与え、柔と剛を合わせ持たせた、本当に見事な演奏だった。
 藤川のヴァイオリンはとても美しい音色。
 アンコールのエグモント序曲も見事。

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1978年12月19日

東京厚生年金会館

ベートーヴェン:交響曲第9番

指揮:ハインツ・レークナー
読売日本交響楽団

 聴くべき部分の多い新鮮な「第九」だった。
 第1楽章を聴いて、大体レークナーの音楽造りの方向性が分かった。即ち、情熱を外にぶちまけるよりは、内に秘め、外面は比較的軽くアッサリと純音楽的に仕上げているのである。朝比奈のように低音の実在感みたいなものは主張せずその透明な響きは木管を主体にし、時にティンパニを強打して単にサラリとさせるだけでなく味わいの深い音楽にしていた。できとしては、第1楽章とフィナーレ、特にフィナーレは素晴らしい演奏だったと思う。
 フィナーレ冒頭はティンパニと金管を強奏し、動きに入るとすぐそれらをディミヌエンドして木管を浮かび上がらせるのである。実に見事な効果だった。「vor Gott」の長いフェルマータとティンパニ、トランペットの意味深さ、そしてマーチの音色の色彩感も見事。543小節からはテンポを落して堂々と合唱が歌う。最後のプレスティッシモは猛烈に早く、ティンパニの迫力ある強打によって本当に感動的に曲は閉じられたのだった。
 スケルツォでは、雄弁なティンパニの強打がうあきあがっていて、解釈としては好感が持てるものの、今日の演奏では失敗というところであろうか。例えば264小節からfで入り、268小節でffになる部分。また290小節からpで入りfまでクレッシェンドするなど、気持ちはわかるがあまり効果的とは言えなかった。例の部分はホルンを重ねていたが、木管を覆い隠すように強奏するのでなく絶妙なバランスをとりイヤミにしないところなど、流石レークナーといった感じ。
 アダージョはもう少し透明感が出たら凄い演奏になったような気がする。4番ホルンのソロは3番の人と二人がかりでうまく吹いていた。

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